ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

pinterest、お好きですか?

すみません、全然広場について書いてない。

なんか広場ってやつは、相手にする時はちゃんと腰を据えて、

丁寧に扱ってやらないと機嫌を損ねる猫みたいな気がして、

ちゃかちゃか扱えないんです。もうちょっと待っててください。

(とかいってるのは、きっと「村上さんのところ」を読みすぎてるせいだ。)

 

唐突ですけど、

pinterest、お好きですか?

ピンタレストです。こいつです。



もうね私、大好き。pinterestの検索で、ガーデニングとか、

カフェ、とかスウェーデンとか、ガーデンウェディングとか、入れて

検索結果見てるだけで、ヨダレが出てくる。ご飯三杯いけるね。

商店街につながるキーワードの、

スモールショップ(small shop)とかマーケット(market)とかいれても、

ヨダレだだ漏れの検索結果。

ふぁぁぁぁぁ〜*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ってなってる。

ヨダレがとまらん。

 

pinterestのユーザーは女子が多いそうですが、わかる。

twitterはどっちかっていうと論理の刺激っていうか、

左脳SNSっていう感じだけど、

pinterestはもっとヨイネ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ヨイネ!ってなるだけ。

言葉が出てこないんだ。右脳SNSって感じ。

 

いや、このヨイネ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ヨイネってなってるのは、

pinterestから始まった話じゃなくて、

古くは、SUPR(シュプール)のインテリア特集に

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ファァァァァァ!!!! 

 

ってなったりしてたわけです。(この号、懐かしすぎる!) 

成長ないね。

 

けどこう、もう成熟の域にはいった感のあるインテリアブームも、

もとはと言えば、こういう雑誌がたくさん啓蒙してくれたお陰で、

女子のみなさんが

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*コレヨイ!ってことになって、

リノベブームだって、

パリやロンドンでは、こんなにみんな部屋の壁、素敵に塗ってるんですよ!

っていうのを雑誌が啓蒙してくれて、それにもまた

みんな*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ソレモヨイネ!ってなって、

で、いまやこのリノベブーム。

 

で、なにが言いたかったって言うと、この

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ファアァァァァァァ感もまた

大事なんじゃないのかな、っていうね。

 

 

 「経済は感情で動く」っていう本があったけど、

この、言葉がでないけど、いいよね!ステキすぎだよね!

っていうのがきっとそれが広まっていく原動力。

 

 

もし、インテリア解説本、みたいな本があって、

それにひたすら、

「部屋の室内装飾は、床面・壁面・天井面が重要なのであるからして、

その部分を、水性もしくは油性の色付き塗料でもって、縦横無尽に塗り分けるのが、

昨今の欧米の流行である。この際、壁の全面を赤・黄・紅などの暖色で塗ると、

室内は驚くほど安定感をもち、また青・紺・杜松などの寒色で塗ると、

爽快な清涼感をもたらすのである。」とか、書いてあっても、

 

 

 

 

 

 

(・ω・)ン???

 

 

 

 

 

ってなりそう。

インテリアブームもうまったく起こりそうにない。

 

 

中心市街地活性、とか地方活性とか、再生計画とか、話したいことは

色々ある訳ですが、(という私もこういう話をする時は、

漢字ばっかりになっちゃったりする訳ですが、)

こういう漢字ばっかりならぶ話も、

きちんと論理を詰めた後は、論理はきちんと後ろに隠して、

ちゃんと

 

 

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ステキ!!

 

 

 

 

 

ってヨダレたらしちゃうようなものを提供したいものですね。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ファアァァァァァァの力は強いから。

論理を話してた時に使った漢字が

そのままファサードになっちゃってるみたいなのが、

ちょいちょい散見される気がして、それはちょっとね。(道の駅とか、道の駅とか)


(でもこの話の中のオガールプラザは素晴らしいですね。うん、素敵素敵。)

 

よしもう一回pinterestを徘徊してこよう。

 

りんご飴をビニールに入れて売ってちゃいけないんだよ論

商店街続きの話を一つ。

 

商店街が寂れた原因の一つを、あくまでも私が感じる原因なので、

偏った目線ではあるんだけど、感じることを一つ書いてみます。

 

 

先日書いたこのエントリの最後に、

個人のやってる屋台街をばーんとつくって、

アジアの屋台ストリートみたいな活気を作って、

誰もがみんなディズニーランドに学べというけれど - ちなみに広場について書いてます。

 って書いたけど、

この活気ってのがお店にとってかなり大事な気がするんです。

ライブ感、っていっても良いんですけど。

 

それを感じた出来事を一つ。

今年のお正月、初詣に行きました。

結構由緒ある神社で、元日だったこともあって、

まあまあの人出。

最初の鳥居をくぐってから、参拝する場所まで、延々と列が出来ていて、

この列に並んでください、という誘導のもとに我が家も並びました。

 

列に並ぶ人たちの両脇には、

テキ屋のお店がたくさん並んでいます。

最近のテキ屋は見たこと無いメニューを繰り出してくるよね…とか思いながら、

参拝後に買いたいものを列に並びながら物色します。

 

そしてね、気付いたんです。

「あのりんご飴やさん、まったく売れてない…。なんでだろ…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そうか、ビニールのせいだ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、ビニールのせいというか、なんというか、つまり

ライブ感が無かったんですね、そのお店。

お店のお兄さんは椅子に座り込んでるし、

りんご飴、って書いてはあったけど、それ以上のアピールは無かったし、

りんご飴は、2列だけ申し訳なさそうに並んでるし、

そしてそのりんご飴は全部ビニールに包まれてるし、なんかこう、

動(どう)と静(せい)っていう言い方しますけど、

それで例えれば静ってかんじ。静謐(せいひつ)。

 

まあ確かに、りんご飴ビニールに巻いておかないと、

となりの焼き鳥屋の灰が飴についちゃうかもしれないし、

反対隣の焼きそば屋の青のりが飛んでくるかもしれないけど、

でもさ、でもさ、ビニールとらないとさ、なんかさ、だめなんだよ!!

 

 

 

 

 

つまり、

商品がそのままばん、と並んでる屋台と、

お店っていう建物の中に、奥まって商品が陳列されてるのと、

どっちがライブ感あるかっていったら、どう考えたって、屋台。

 

もしお店で営業してるとしても、

お店のドアを全面的にオープンにして、道路の部分にまで

もう生きのよさそうな商品を並べてるのと、

お店を閉じきって、なかでだけ営業してるのと、

どっちがライブ感あるかっていったら、どう考えたって前者。

 

商店街が廃れていったのに、このライブ感っていうのも

結構大きいんじゃないかな。

 

 

まあそれは、別に商店街に限った話じゃなくて、

どんなお店にも言えることなんだとおもうんですけども。

 

  

 

「地方は活性化するか否か」にのっかってみる。

先日リンク貼っておいた、

「地方は活性化するか否か」の中でも、

cheeleeが特にぐっと来たやつ貼っておきます。

f:id:cheelee:20150305131511p:plain

《第42話》何もなくても : Web4コマ 地方は活性化するか否か

 

 

はいはいはいはいはいはい!

広場なら出来ると思います!

ちゃんとできた広場なら出来ると思います!!!

 

誰もがみんなディズニーランドに学べというけれど

 

 

なんだかんだ言って、ディズニーランドこそ、世界中にある

建物やまちのイメージを学んで(模倣して)、

ディズニーランドを作り込んでる訳じゃないですか。

 

 

トム・ソーヤーの島だって、開拓時代の話だって、

ディズニーシーのベネツィアをまねたところだって、

中央にあるポンペイのヴェスヴィオ火山のイメージも

使ったプロメテウス火山だって、

20世紀初頭のニューヨークの様子だって、

アラジンの世界だって、

ディズニーは、世界から学んでる。

 

どこにも存在しない場所や、未来の空間を想像するのもいいけど、

すでにあって素晴らしいインパクトを残す場所を模倣することも、

十分お客さんに感動を与えるっていう判断が下ったからだと思うんだよね。

 

だから、ディズニーはちゃんと、アラブ世界の街並や、

ヨーロッパの街並や、アメリカの初期の街並なんかを取り入れてる訳で

(アジアの街並が入ってこないのは、やっぱりまだディズニーの中に

それが入ってたら違和感強すぎなんだろうか。)

お互い学びあっていくのがこの世界だよね、っていう

当たり前すぎるまとめで始まりました、こんにちは。

 

 

そんなことをつぶやきたくなった、

こちらのブログ。

 

高松丸亀町商店街のやり方だそうです。先日、

どうやって土地を引き継いでいくのかというお話。 - ちなみに広場について書いてます。

のエントリの中で、出てきた高松丸亀町商店街のやり方を紹介してます。

一個前に書いた、商店街の新しい形、のひとつのモデルです。

 

まちづくり関係者からは非難囂々浴びやすい

ショッピングモールからやり方を学んで、

それをまちづくりに使おうぜ、という話。

 

中心市街地は、個人の住宅地というよりも、

公共の持ち物として管理をした方が良いに違いない、と昨日も書いた訳ですが、

高松市丸亀町商店街は、それを実際に運用して、

土地を持ち分区画で持っているんだそうです。

(持ち分区画についてはスルーする…。) 

 

 

ちょっと引用

郊外のショッピングモールにヒントがある。着目すべきはショッピングモール自体が

 

計画的に整備されたひとつの「街」である点だ。

 

現代のライフスタイルに合わせて進化した街が、町場のしがらみを避け

 

辺境地に伸びていったと考える。内部構造に目をやると、核店舗につながる

 

プロムナードに沿って専門店が門前町をなしている。自然発生した街と

 

異なるのはそれが極めて計画的につくられていることである。

 

 

そして、その後、

 

街全体のマグネット効果をもたらす集客装置(しゅうきゃくそうち)

 

をいかに配置するか。

 

たとえば鹿児島市街なら鶴丸城址(つるまるじょうし)に接する

 

「歴史と文化の道」や、水族館があるウォーターフロント地区が

 

マグネットになりえる。

 

新幹線に乗ってきた観光客を、中心市街地の一番奥のウォーターフロント

 

地区に引き寄せ、帰りに天文館(てんもんかん)地区で

 

買い物をしてもらう作戦だ。催事目あてで来たお客さまがエスカレーターで

 

下りる途中で買い物をする「シャワー効果」と同じである。

 

マグネット効果が期待される。

 

と続く訳ですが、この後半の引用では、 要は、

なにかマグネットになるものを作れ、って仰ってる訳ですが、

うーん、それは、結構慎重にやらないとただのハコモノ

なっちゃうんじゃないのかなぁ…と思ってみたり。

建物は自治体が持って、民間が運営とはいっているものの、

水族館も、遊園地も、そんなこまめに行くかな、っていう疑問。

毎週水族館、いかないよね…。遊園地もね。まあ3年に一回くらい?

 

そういった、単に見るだけっていうものよりも、

もっと自分でなにかやり遂げることのほうが、楽しい気分なのがここ数年の流れ。

週末農業や、週末ガーデニングや、週末DIYや、なんやらかんやら。

なのでたとえば、ミニ・ミュンヘンやる、とか。



 

そしてもうひとつ、マグネットを見た後、買い物してほしいってあるけど、

ここでもイオンとほぼ同じショッピングセンター作るくらいなら、

昨日書いた、個人のやってる屋台街をばーんとつくって、

アジアの屋台ストリートみたいな活気を作って、

で、そこに広場、作ろうよ。

よし、今日も決まった。

 

 

だからそのつまり、ショッピングセンターに学ぶことは

とても意義があるし、いいところはパクりまくれば良いと思うんだけど、

ただの立派なハコ作っちゃうとちょっと危険だから、気をつけようね、

っていう話でした。

 

 

今日のタイトルと話の内容、ほぼかぶってないけど、

そして、ディズニーランドから学べっていうのは、その部分じゃないって言う

指摘も含めてうん、そう、あれなの、

このタイトル言いたかっただけなの。語呂が良さそうで、使いたくなったの。

それだけなの。

  

商店街と広場はやっぱり切り離せなかった。

なんか富山の広場について書く前に、商店街について書いてみます。

先日ちょっとだけ商店街について書きましたけど、

 

あの時よりもうちょっと勉強したので、再再々チャレンジ。

広場広場と連呼しているけれども、広場に至る為にはもっといろいろな

ことを画策しなければならないのだな、と思い直して、

再再々チャレンジ。 

 

閑散とした、「こんなとこ誰が来るんだよ、」って苦笑されるような広場じゃなくて、

活気のある広場を作りたい身としては

活気の出る可能性のある中心市街地のこと、

そして活気がでる要素のひとつである商店街=商業が集ってる地域

のことを考えない訳にはいかないことに気付いたのでした。

 

本当に活気のある中心市街地が出来る要因は複合的で、

いろいろな要素が組み合わさっていて、

その要素のどれが抜けても活気は出せないって考えると、

流行るお店の経営と似てるのかも。

 

流行っているお店は、売っている商品にニーズがちゃんとあって、

商品の価格が適切で、お店の場所が入りやすいように考えられていて、

ってなっているように、

活気のある中心市街地も、

行く理由(ニーズ)があって、

行きやすいような交通が整えられていて(車で行っても無料で

停められるようになってる、とか電車が発達してるとか) 

歩きやすくなってる(車が進入してこないとか)

そこに満足できる商業の集積がある、みたいないろいろな要素が

うまく活かされてるんだろうなぁ。

 

 

今回の参考テキストは、

 

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

 

 いやー、本文の途中あたり、ちゃんと読み込めていないんですが、

でも書いてみよう。

 

 

それで今日は商店街のこと、というよりも働くっていうことからも見ていきます。 

今日の話は、

資本主義が終わる時代に現れる生き方とそれに必要な場所1 -

ちなみに広場について書いてます。

のこれからの生き方っていう部分と結構リンクした話ですよ。

 

本文の冒頭のところと最後の部分をまとめてみます。

抜け道のない日本社会 

 村上春樹は、作家活動を行う前、東京・国分寺市でジャズ喫茶を

 

経営していた。ジャズ喫茶をオープンしたのは、

 

早稲田大学文学部に在学していた、1974年のことだった。

 

村上春樹は当時のことを次のようにふりかえる。

 

 

(略)金はないけれど就職もしたくないなという人間にも、

 

イデア次第でなんとか自分で商売を始めることが出来る時代だったのだ。

 

 

 (中略)しかし村上春樹は、自分が出店したころから、ーオイルショック

 

のころを転機として、ということになるがー、

 

自分と同じようなチャレンジをおこなうことが徐々に難しくなったという。

 

土地・建設費が、猛烈な勢いで上昇してしまったからである。

 

自分で事業を興せないとなると、就職したくない人は、

 

いったいどうなるのか。

 

 

今、「金もないけど、就職もしたくないという思いを抱いている若者達は、

 

いったいどのような道を歩んでいるのだろうか?

 

かつて僕もそんな一員だっただけに、現在の閉塞した社会状況は

 

とても社会状況はとても心配である。抜け道の数が多ければ多いほど

 

その社会は良い社会であると僕は思っている。

 

 

この文章が書かれたのは、1980年代はじめであり、今から30年ほどの

 

年月が経っている。当時に較べると、地価は大きく下がったし、

 

若者の起業支援も増えた。しかし、21世紀の日本で、

 

「抜け道」があると感じることが出来る人はどれだけいるだろう。

 

(中略)このデータを見ると、若者の起業意欲の低さが目についてしまう。

 

しかし、ここで問題なのは、起業意欲そのものではない。

 

それよりも、雇用以外の「抜け道」がかけてしまっている状況、

 

あるいは、「抜け道」があることを想像できない状況こそが

 

問題なのである。

 

 

なんとなく、今、多くの人がその抜け道を作ろう、見つけようと

模索している状態なのかな、と思う訳です。

実は最近、知り合いや、友人といった人が、ちょこちょこと

仕事を辞めて、次のことを考えようとしていて、

振り返ると私自身は以前の職を辞めたのはもう数年前で、

次のことを考えるという過程を経ているというか、

いままだ渦中といった部分もある訳ですが、

なんかもう、自分のことを考えても、まわりのひとのことを見てみても、

新卒で就職して、辞める、というのはゴールデンルートにも思える訳です。

その会社を辞めるまで、1、2年か、3、4年か、5、6年か人によって

期間は様々ですが、辞めるのはもう普通な気がする。

率にしては、3割くらいかもだけど、もっと割合高そう。

 

その後の展開は人によって様々で、

転職を考える人が多数なのでしょうが、

そういった中でも以前より多くの人が、

自分で何か仕事をつくり出そうとしているんじゃないかな、

と思う訳です。

 ネット起業だったり、小さく商いだったり。ナリワイだったり。

(うん、前も書いたネタだけどね。)

 

ネットで起業も、お店持つコストがかからなくて悪くないけど、

コンパクトシティを押し進める上で、中心市街地のにぎわいを取り戻す為にも

商店街(+広場)で、こういう人たちが商いをしていくと一石二鳥。

お互いの足りないものを補いあうかたちの最高のマッチングな気さえします。

 

(お、ちょっと前に商店街ダメだししてたじゃんかよ!って言われそうですが、

君子豹変す、になって、朝令暮改して、広場も作るっていう前提で、

商店街を使わせてください。ただし車は入ってこないのが条件で。)

 

 

 そんな提案をこの本の最後の章でもされてます。

 

また新しい商店街は、地域社会が土地を管理する仕組みを考えても

 

よいだろう。すでにいくつかの地域でおこなわれているが、

 

まちづくり会社」が空き店舗を管理し、それを意欲ある若者に貸し出す

 

という方式も有効である。この仕組みをもう少し広げて、

 

地域住民が土地や店舗を管理し、営業者を住民から募集することがあっても

 

良い。

 

こうした提案を行うのは、居場所や出番が失われがちの若者に、

 

事業をおこなう機会をつくり出したいからである。

 

私の父親は1941年生まれで、九州の地方都市でコンビニを

 

経営しているが、毎月のように銀行から営業の電話がかかってくるそうだ。

 

なぜ銀行は私の父親のような高齢者に営業活動を行うのか。

 

それは私の親がわずかながら土地を持っており、それを担保に事業を

 

行っているからだ。将来性あるなしに関係なく、土地を所有しているか

 

どうかで、融資がきまることを物語るエピソードである。

 

 

なんかさ、職業安定訓練所ってありますけど、

新しい職業訓練として、自営の訓練ができる訓練所ってどうかな?

中心市街地に結構大きい敷地を、地域住民か、もしくは、

自治体そのものがもって、そこにでっかいがらんどうの建物を作って、

その中で、屋台が連なって、自分が出せる商品を

一品でも良いから出せる、みたいな。

イメージとしては、築地市場とか、沖縄の市場みたいなわりとラフなイメージ。

もしくは、ドイツのクリスマス市、みたいな。とにかく屋台、ってのがポイントかも。

屋台は自治体の持ち物だったりして、借りてる形にして、

とにかく最初の開業資金が安く済ませる。

マイクロクレジット的に貸せるんじゃないかな。それくらいの規模だったら。

で、そこでとにかく商売とはなにか、っていうのを訓練することができる。

そこで練習して、何年かやってみて、もう独立してやっていけるってなったら、

そこから出てく、とかね。

よく言うじゃないですか。魚を与えるより、釣りの方法を教えろって。

教えられたい。

 

うーん、まあ方法はどうであれ、

シャッター商店街×商いを起こそうとしている若年者っていうのは

最強の組み合わせ。

問題は、そこに至るまでの道を、どうやって作っていくか、なのかなぁ。

 

 

そうやって、中心市街地が面白い動きに溢れてくれば、

人の流れがたくさん出来てきて、活気が出てきて、

一番流れが渦巻いてる中心に広場を作れば、もう最高のハーモニーの

出来上がりですよね。では、また来週!

富山のヒーロー登場の巻2

賛否両論ありそうなコンパクトシティですが、

とりあえず解説を進めていきますと、

コンパクトシティには、公共交通が大事なんだそうです。

 

確かに、

どこかに出かけたい、っていう時、

車がないとどこにも行けないっていうのと、

3分歩けば、町の中心部まで連れて行ってくれるのとでは、

だいぶ感覚が変わりそう。

 

(ただし、電車だからこそ2時間通勤なんていう荒技をこなす人が

都内にはわりとざらにいる訳で、地方で職住接近がわりと当然なのも、

車で2時間通勤なんていうのはなかなか無いことだからなんですね。)

 

富山では、ポートラムセントラムという名前で、

LRT(Light Rail Transit)(ライトレールトランジット)という、

路線電車が整備され、

車が無い人でも出かけやすい環境が整備されました。

(うん、実感として、富山の人はどう思ってるんでしょうか。)

 

という訳で、今日は手抜きだー。

 

おまけに、最近噂のサイトが面白かったので、

リンクを貼っておきまーす。

Web4コマ 地方は活性化するか否か

 

っていうか、このサイト、地方活性化でググると、

内閣府地方創生推進室のサイトより、上位で1位だ〜。すごい。

富山のヒーロー登場の巻1

はぁぁぁぁ…。

ちょっともう、このブログのすべてが

書き尽くされている本を読んでしまったので、感動とともに、何も言えない。

そう、そうなのよ、そのままです。

もうなにも言うことないです!!!この本読んでください、

以上です!みたいな本を読んでしまった。

ブログを閉じようか。

 

っていうのは冗談にしても、いやー、素晴らしい。

 

すみません、富山のこと、不勉強でつい最近まで知らなかったんです。

つい最近天婦羅スワン、もとい10+1で知ったというレベル。

10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト|Think about New "Urban Design"

 (この対談集の中の第4回の部分ですね。)

 

ほぉぉぉぉ、広場、広場がもうあるのね?!

ふぁぁぁぁぁ〜〜!!!!ってなって、買った本。

 

で、読み終わって、上の感想。

うん、もう私に書かなきゃいけないことはない。何も無い。

と思って、この本にはここしばらく触れられなかったくらい。

 

という状態なんですけど、でもむしろこの本を読んで思った。

こんだけ広場が良い空間なら、もう全国すべての市町村が持ってて

良い訳だから、よし、これを知ってもらって、広場を増やす為のblogにしようって。

というわけで名称も「広場のPR担当」にしちゃった訳です。

この本で語られている広場の良さをね、

もっと多くの人につぶさに伝わるといいな、と思って、ブログを書くよ。

そろそろアップするのトーンダウンするかもだけど(傷心で…)

 

 

さて、ではそもそも富山について。

 

OECDも認めるコンパクトシティである。

OECDがなにか実はよく知らないとか、コンパクトシティもぼんやりとか

知らないとかそういう部分はあるけど、

なんかこう、凄そうでしょ?OECDも認めた!とか聞くと。

EDGMとかAESGとか4つのアルファベットくっつけとけばそれっぽいのできそう。

EDGMも認めたコンパクトシティである、とか。

はい、冗談ですよ。

 

 

OECD

「Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構

の略で、本部はフランスのパリに置かれています。by経済産業省

 

けいざい きょうりょく かいはつ きこう!なんか聞いたことある!

社会で習ったことある!

 

OECDは、先進国間の自由な意見交換・情報交換を通じて、

1)経済成長(けいざいせいちょう)

2)貿易自由化、(ぼうえきじゆうか)

3)途上国支援(とじょうこくしえん)

に貢献することを目的としています。by経済産業省

 

それも社会で習った気がする!

 

というレベルの知識を披露したところで、

先日、どちらかというと経済成長を否定したエントリを書いたあとに、

経済成長を目的にしてる団体が推薦してる、っていう根拠を

良しとして文章を書くのも矛盾してる気がするけど、

まあ人生とは矛盾がつきものだ。

 

で、このOECDが押すこれからの都市のスタイルに

コンパクトシティ構想っていうのがあって、

そのコンパクトシティを既に推進してる世界の5都市のひとつに

富山は選ばれているんです。

すごいね、富山!!

 

 

コンパクトシティとは何か?

コンパクトシティの概念を簡単に言ってしまうと、

 

市街地のスケールを小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉え、

コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとする

のがコンパクトシティの発想

 

で、なんでこんな発想が出てきたのかって言うと、(by wikipedia)

 

中心市街地が空洞化して、郊外にまちが広がった

     ↓

②郊外にまちが広がると色々問題がある。

     ↓

③広がりすぎたから中心市街地に戻ったほうがよくね?←今ココ。

 

なんだそうです。ふむふむ。

②の色々な問題というのは、ざっくりいうと、

・自動車もってない人/乗れなくなった人はどうやって毎日生活したら良いの?

・どんどん郊外を広げてくと、環境に対する負荷が大きいよ。

・郊外にあるインフラ設備をちゃんとメンテナンスするのはお金かかるよ、

っていう3点なんですと。

 

(とかいいつつ、コンパクトシティについて読んでいったら、

コンパクトシティ全然ダメ!って論もあるから、勉強するって奥がふかい…

という訳で今日は尻切れとんぼになろう…。)

  

町らしいとはアントレプレナーシップを発揮できる場所があること。

昨日からの続き。

 

藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた

藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた

 

 今日はどちらかというと広場とかまちづくりについての記述。

いくつか気になる台詞を。

 

ショッピングセンターぐらいでしか働く場所が無い

 藻谷さんの世代は、おそらく商店街とその地域性が結構リンクして

 

いると思うんですけど、僕より下の、20代以下の郊外に住む若い人たち

 

とっては、ショッピングモールこそが地元だという

 

意識になっていることです。

 

藻:なるほど、そうですよね。

 

新:実は、その人たちが地域にこもってしまっているという問題も

 

あるんです。というのも、地域愛のある人ほど、非正規雇用で働いている。

 

友人の社会学者である阿部真大君によると、今地域にこもっている

 

若者たちが目指す職業は、綺麗に二分されているそうです。

 

ひとつは、数はかなり少ないんですが、警察官や消防官。特に都市規模が

 

小さくなればなるほど、警察・消防しか働き口が無くなります。(中略)

 

 もうひとつ、警察・消防ではないところで地元に残るといったら、

 

ショッピングモールとなりがちです。

 

不安定な立場で賃金も安いけれど、多くの職を提供しているのは事実です。

 

(中略)

 

藻:(中略)昔であったある店主が言っていたのです。「商店街ってのは、

 

弱小な一個人が事業者として、大組織や大手資本に対抗しながら、

 

なんとかやっていける地域でただひとつの空間なんだ」と。

 

町を失くした地域の人は、ショッピングモールで単なる消費者になるか、

 

使用人になる以外に道がないんですよね。

 

つまり、ショッピングモールは消費する場としては愛すべき空間であっても

 

そこに使用人以上の者として関わり、自分が生きた証しとして後世に

 

残して行く場には、残念ながらなり得ないでしょう。

 

 

うん、ここにも納得。地域にこもっている、という書き方に東京上位な目線を

感じたりもしますけど、(東京にでるのが絶対なのかよ!みたいな)

まあそれはおいておいて、確かに地方じゃ勤め先の上位に

上がってくるショッピングセンター。

先日こんなエントリを書きましたけど、

モールについて語ってみる - ちなみに広場について書いてます。

 

 

つまり、あの時は、消費する側として、

「緩やかに自分のポジションを低下させる」的な位置づけで

ショッピングセンターを捉えた訳ですが、

雇用される側に立ってみると、もうどうやったって、

あのショッピングセンターの資本には敵いそうにないわけです。

ショッピングセンターの資本を持つ人にはそうそうなれないでしょうし。

 

でも、商店街がある町だったら、事業者としてちゃんと生活の

基盤を作れるチャンスがある訳です。

 

アントレプレナーシップを発揮できる場所

新:「町、あるいは都市とはなにか。」その定義は数多くありますが、

 

僕が最近読んで「なるほど」と思ったのは、

 

アントレプレナーシップが発揮できる空間である」という定義です。

 

アントレプレナーシップは「冒険心」とか「起業家精神」と訳されますが、

 

要するに自分で事業を興す精神性みたいなものですね。

 

私たちはなぜ、商店街に感じる「町らしさ」を、ショッピングモールには

 

感じないのか。たくさんのテナントが入るショッピングモールだって、

 

生鮮三品の専門店を並べて商店街らしくすることはできるでしょうか、

 

私たちはそれを「町らしい」とは思わないはずです。

 

それはなぜか。おそらくそこにかけているのが、

 

アントレプレナーシップなのではないかと思います。

 

つまり、自分で事業を起こしたいという人がいて、その思いを活かすことが

 

出来る空間がある。こうした空間や舞台を、

 

私たちは無意識に町や都市といっているんじゃないか。

 

はい、聞きました?いますごい良いことおっしゃってましたよ。聞きました?

アントレプレナーシップを発揮できる場所を持っている場所を町や都市と言っている。

ではここで以前書いたエントリを見てみましょう。

お、結構良いこと言ってるじゃない。(自画自賛

一個人が手出しを出来る空間があることが重要な訳ですね。

 

藻:起業家精神を持つ若者は今もいます。ですが、それが商売で花開くには

 

根・葉・茎が揃う場が必要なのです。

 

根は住居、葉は職場です。居住者しかいないのが団地、職場しかないのが、

 

工業団地やオフィスビル街ですが、これらは、町ではない。

 

なぜなら、前者は住む人しか、後者は来る人しかいないからです。

 

住居と職場が混在してこそ町と呼べる。

 

加えて茎=公共的な施設も必要です。中でも一番人を集めるのは

 

病院や学校ですね。

 

はいはいはいはいはいはいはい!!!!!!!

 

ーはい、どうぞ。

 

茎に広場も入れてください!!!!

 

 

…。さ、次いきましょ。

 

根・葉・茎が揃って初めて、住む人と来る人が一緒に歩く場となり、

 

零細店にも売り上げという栄養が行き届く。

 

理屈ではないんですが、これがこれまであらゆる町を観察して得た

 

結論です。

 

藻:この反対をやっている地域、つまり、郊外農地を開発し、

 

住居と職場と公共施設と大型店をそれぞれ無料駐車場付きで分離させ、

 

移動は全部車で、としてしまった地域からは、起業家が生息できる空間が

 

存在しなくなってしまった。

 

面白いことにそうした土地からは、文化的なものが泣く案って行くんです。

 

モールに並んだ物資を消費して満足している人だけになった地域からは、

 

ユニークな雑貨屋とか、こじゃれたカフェ、尖ったイベントも消えて行く。

 

残念です。

 

 っふぁー。そうなんですよね、そうなんですよね、

40年前に計画されたニュータウンなんかは、団地の真ん中に

いくつかのお店が計画されていたりしますが、

ここ20年くらいで計画されたニュータウンには、

そもそも商店街的なものは作られず、ダイエーや、イオンといった

大型店舗で買い物が済むような商業施設だけが計画されています。

サラリーマンとして都内に勤務して、自宅には寝て帰る、

というライフスタイルの為にはぴったりですが、

辞表を会社に叩き付けて自分でなにか始めたい、と思った時に、

そういった町にはとっかかりがありません。

 

そして最後に、

 

新:そうですね、あまり理屈っぽくいうより、実例を見せていくことが、

 

これからすごく必要なことだろうと思います。それが先ほどの、

 

ショッピングモールの非正規雇用という問題に対して

 

唯一対抗できるものになるかも知れない。 

 

うん、このエントリで書いたのは第一章だけだったんですけど、

この本も示唆に富みすぎてて、

ちょっとライトレールについても考えを改めました。 

 

 

ちなみに新さんのインタビューで、

これまた素晴らしいことおっしゃってたので、リンク!



どうやって土地を引き継いでいくのかというお話。

 

藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた

藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた

 

 すみません、本を参照してばっかりで。

でも、本の中に、ちょっとでも広場と関係ありそうな話があると、

読んでいる間に、なんか言いたいことが出てきてしまって、ついつい。

 

藻谷浩介さん。里山資本主義の本の人ですね。

里山資本主義、読んだけど内容を忘れてしまった。読まなきゃ。

 

で、藻谷浩介さんが色々なジャンルの人と、日本のことについて

対談するという対談集です。

7人の方と対談しているのですが、一人目の新雅史(あらた・まさふみ)さんと

商店街のことについて対談しています。

新さんは「商店街はなぜ滅びるのか」という本を書いています。

 

この本の中では、広場と絡めそうな部分も面白かったのですが、

なんかこう、もっと現代の土地を引き継ぐというシステムに破綻が来てる、

という解説がとてもシステマチックでぽん!と膝を打ってしまったので、

もうまるまる写そう。

 

商店街衰退を不可避にした理由

藻谷 本の中で、商店街の衰退を不可避にしたのは後継者不足であり、

 

その原因は商売の担い手が、家族以外の人間も取り込んだ近世商家的な

 

「イエ」から、親子だけの「近代家族」替わったことだと指摘されて

 

いました。

 

新家の祖父も、イエの論理の世界で修行して、それから「近代家族」を

 

形成された訳ですね。お父様は最初から近代家族として操業する。

 

そして子どもの新さんは跡を継がない。

 

なんかこの話、農家の話に置き換えても十分通じる話ではないですか?

私の母方の実家も農家で、それこそ江戸時代以来その場所に

生活してきた訳です。で、慣習どおり、5人兄弟の長男(母の一番上の兄)が

その農家を継ぎました。他の兄弟(母も含め)たちは、

全員そこから出て行き、今は、関東圏内に居住しています。

 

長男(私からしたら伯父さんですね。)夫妻には

息子がいますが、大学進学と同時に都内へ出て、

現在はサラリーマンとして都内にマンションを購入して住んでいます。

どう考えても、その息子(従兄弟ですね。)が

その場所に戻る予定はありません。

かといって、先祖代々の土地を他のだれかに売る、というのは

盆暮れに帰省するのみの、その土地に住んでいた訳ではない私でさえも

ちょっと抵抗があるという始末です。きっと、そこに住む人がいなくなって、

そこでの楽しい記憶を持つ人がいなくなった時に、

土地は売買可能になってくるのかもしれません。でもそれじゃ遅いか。

 

しかしそう考えると、ひとつの場所を代々継承していくというのは、

いわゆる核家族では土台無理な話だったという訳です。

 

藻谷:俯瞰してみれば、長らく続いてきた「イエ」をぶち壊して

 

個人を解放した近代家族も、実は過渡的なものだった。商店街をはじめ、

 

近代家族が労働者を再生産することを前提にした戦後システムも

 

長くは続かないということですね。(註:結婚しない人や、子どもを

 

持たないという選択肢をとっている人がふえているから、という話から)

 

(中略)

 

藻谷:近代家族に支えられた商店街が跡継ぎ問題で崩壊していったのと

 

同じように、我々の生きるこの日本の社会全体が、

 

後継者がいないという問題を抱えていますよね。

 

新:ええ。土地の所有についても、近代家族の崩壊とともに不動産が死蔵化

 

してしまっています。本来、跡継ぎがいないのならば、不動産などの

 

ストックはなるべく早く家族以外に引き継いでいけばよいはずです。

 

しかし、商店街の店主は、跡継ぎがいなくても、

 

不動産を固守しようとする。残されるのはシャッターが閉じたままのお店

 

です。こうして商店街は内部から腐っていく。

 

次にダメになるのは、同じく近代家族が土地を所有している

 

郊外住宅地かもしれません。

 

 

藻:郊外団地は、まさに商店街と全く同じ問題を抱えていますよね。

 

この本を「ニュータウンはなぜ滅びるのか」という題にして、

 

固有名詞をいくつか入れ替えるだけで

 

そのまま20年後に出版出来るかも知れない(笑)

 

新:まちづくりにおいてもこの問題を真剣に考えていかないといけません。

 

近代家族の論理だけで地域整備をしていては、すぐに限界がくるはずです。

 

そうだよね、そうだよね、とここで膝をぽんぽん打っていた訳です。

核家族で土地が継承できないっていうのは、

個人の職業選択の自由や、居住の自由を認めていれば当然起こりえることで、

でも今更、お前はこの土地を継ぐ為にここに住み続ければならないのだ、

なんていう親がいたら、大丈夫?ってなりそう。

子ども自身にその土地でやりたいことや仕事があって、

その土地に住み続けるならまだしも、もう土地ありきで人の動きを縛ることは出来ない。

 

とはいいつつ、ニュータウンだって、農村だって、

そういうことが起こっていて、さらにこれから人口が減っていく中では

圧倒的に空き家になる率が高くなる訳で、

その問題を根本的に解決する方法を考えていかないといけない訳です。

 

新:近代家族崩壊後の問題点として重要なのは、今後、資産のマネジメント

 

をどういう形でおこなっていくかということでしょう。

 

個人を肥えた存在として、企業というのはひとつの解ではありますが、

 

あくまで利潤を追求する為の組織です。これからは何か別の、

 

地域の資産管理をしていくための仕組みを考えないといけないでしょうね。

 

(中略)

 

藻:実験的な試みはいくつかあります。例えば、高松市

 

丸亀町再開発事業のA〜C街区では、地権者たちが

 

土地を自分たちの出資したまちづくり会社に貸し、

 

会社が土地の上に建てたビルは区分所有ではなく、

 

持ち分所有にする、という方式を取って成功しています。

 

ぎゃー、なんかここで勉強しないといけない言葉が出てきてしまったよ。

持ち分所有…。でもまあ今日のところは読み飛ばそう…。

 とはいえこれはあくまでも商業地として利用できるような場所の話。

誰もいかなくなってしまうようなニュータウンや農村なんかを

どうしていくかはこれから考えていかないといけない問題ですね。

 

考えてみれば日本人は、道路や上下水道は共有財産として認識しています。

 

これらは皆の税負担で維持して当たり前だと思っている。

 

赤字の鉄道は廃止しろというのに、道路も維持管理費を考えれば

 

大赤字なのに、廃止しろとはいわない。

 

 ところが、その道路で区画された個人の土地の話になると、まったく

 

話が違う。他人の土地に税金を使うことはもってのほかだし、逆に自分の

 

所有地はどうしようと自分の勝手、

 

いっさい口はださせないというような意識でいるのは不思議です。

 

 道路の修繕や整備、除雪までをすべて公のお金でまかなうという

 

システムを今の規模のまま、人口の減る時代にずっと維持できるとは

 

とても思えません。方やそれによってく分けられた土地は、

 

近代家族の解体に伴って相続人も減り、

 

すかすかに空いていくばかりなのですから。

 

夕張市の高台住宅地に行くと、行政がお金をかけて

 

維持している道路が空き地を囲んでいて、

 

たまに家があるという景色が広がっている。夕張限定の問題ではなく、

 

これがこれからの日本の姿なんです。

 

道路は共有地、土地は個人所有のままで私有地部分に人がいなくなる。

 

 (中略)

 

同じ理由で所有者が分からないから誰も使えない、他のことに転用

 

したくても、手を付けられない「腐った土地」が大量に現れています。

 

しかもそれは少子化と高齢化に伴って、

 

今後ますます加速度的に増えるでしょう。

 

っふぁー。なんかいろいろ人口が少なくなると

どういうことが起こるのか見えてきましたね。

でもきっとそういった問題は、

その問題があまりにも目にあまる状況になった先で、

解決を施そうという動きが起こるのではないでしょうか。

 

例えば、あまりにも空き家が目立ちすぎて、いろいろと問題になってきた自治体が、

ひとつひとつの空き家の持ち主に掛け合って

ちゃんと使用するか、売却するか、いらないなら自治体に売るか、とかいうそういう

判断を下すよう、促すことになっていくとか…。

 

もしかしたらそういう空き家を全部集めてかなりのボリュームになったら

ものすごい低家賃で(もしくはただで)空き家を貸し出します!

っていうサービスを自治体が始めて、

それで地域の活性化を図るっていうのが出てきそう。

 

そしてそれがバイラルして、どんどん進んで、よっぽど都内じゃない限り、

もう家賃なんて払わずに住める、みたいな状況が出来てきたら、

人口減少万々歳じゃない?

不動産屋さんは無くなって、DIY産業は栄えそうだ。

 

しかし、市役所とか町役場の中にひとつの課が出来ちゃいそうな問題ですね、

どうすんだろ。 (人ごとですみません…。)

 

とかまあ今日は社会システムな話でした。

 

西村佳哲さんから、広場の話があります。(っていうのはちょっと誇張気味)

今日は軽めに。雑誌から抜粋。

 

SOTOKOTO(ソトコト) 2015年 03 月号 [雑誌]

SOTOKOTO(ソトコト) 2015年 03 月号 [雑誌]

 

 西村佳哲(にしむら よしあき)

1964年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業。

建築の仕事を経て「つくる」「書く」「教える」の仕事に携わる。

リビングワールド(www.livingworld.net)代表。

働き方研究家として、「自分の仕事をつくる」

「かかわり方のまなび方」「いま、地方で生きるということ」

など著書多数。

 

 

今年のお正月に

「ひとの居場所をつくるひと」というフォーラムが奈良で行われたそうですが、

その時の模様を書いた記事から抜粋です。

 

西村佳哲さんは、2000年代を通してずっと働き方を考えていました。

それを、「自分の仕事をつくる」という本に著されています。

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

 

 うん、この本、珍しくめっちゃ赤線ひいた本だ。懐かしい。

 

しかし、そうしたことを考えている間にも、

「仕事」の内容が、粗雑になってきたと言います。

西村さんはそれを「意味の含有率が高い仕事が減ってきている」と表現しました。

単純作業ばっかりとか、何の為にやっているのか分からないような

目につかないような状態になってきてしまった。

 

そんなときに魅力的に聞こえたのが、“営み”という言葉。

この営みには、仕事と暮らし、両方の意味合いが込められているそうです。

 

仕事と暮らし、両方があることが本来の人のあり方のはず。

 

しかし、現代では働いている、あるいはお金を使っている、そのどちらか

 

でなければ、まるで”居場所”がない感がある。

 

貧しさや障害を抱える、社会的弱者に限った話ではなく。

 

そしてそれは、日本固有の問題でもあると西村さんは言う。

 

「つまり、”広場”っぽい空間が、今の日本にはないんです。」

 

はい、お姉さん。聞きました?今ちゃんと聞きました?

もう一回聞いてみましょう。

 

広場っぽい空間が、今の日本にはないんです。

”広場”っぽい空間が、今の日本にはないんです。

”広場”っぽい空間が、今の日本にはないんです。

 

 

 

ですって。(灰色の文字はエコーです。)

いやー、話はずれますが、ソトコトどうしよ、買おっかなー、

社会貢献プロジェクト特集かぁ…。

とか思いながらこの本を本屋さんでパラ見してたら

この文章が飛び込んできて、なんか即買い決定しちゃいました。

この文章を読む為だけに買いました。(もう読み終わってたけど。)

 

 

さあ続きを。

20数年前、西村さんがサンフランシスコで見たのは、家の前と

 

道路の間の歩道が、個人の土地でありながら、公共の場として提供された

 

ものであり、管理は個人に任せられているという空間。(中略)

 

欧米には「公(public)」「私(private)」の間に

 

「共(common)」という領域があり、そこで必要とされるのは”管理”

 

ではなく“自治”なのだ。

 

「私たちのほとんどは消費者として、毎日、買うトレーニングは

 

積んでいます。数ある選択肢の中から最適なものを見つけ出し、

 

選ぶ能力をドリルのように反復練習している。(中略)

 

その一方で、「共」領域の扱い方や、身の振る舞い方のトレーニングが

 

すっぽりと抜け落ちてしまっている、と西村さんは指摘していた。

 

昔の日本なら、路地や空き地、入会地などの「共」の領域があり、

 

人はそこでコミュニケーションの方法などを自然に学ぶことができた。

 

しかし、近代化の中で、「共」は「公」に吸収され、

 

「共」領域は無くなるか、管理される場になってしまったのだ。

 

「欧米では、公園や広場と言ったコモンスペースがあり、

 

子どもの頃から、そこを自分たちがどう使うのか、

 

他人とコミュニケーションをとりながら決めていくトレーニングを

 

積んでいます。

 

しかし、日本の公園はたいてい管理側の都合で運用されていて、

 

人々もそれを当たり前に受け止めている。

 

こどもたちが自分で遊び道具をつくる、プレイパークのような試みも

 

ありますがまだまだ例外的。」

 

わー、いっぱい書き写してしまったよ。

なんかでも「共」のトレーニングを受けていない、

ってなんか納得しすぎた。

 

私にとって「共」のイメージって、

知らない人とでも、ある程度の親しみを持って打ち解けて、

その場を気持ちよく過ごす技術、みたいなものが

入っている気がするのです。

昔あった電車の車両で、向かい合わせの4人席っていうのが

ありましたけど、座り合った人同士が、目的地に着くまでの

短い間だけどそこを楽しくしましょうか、的な方法、というか。

相席したけど、なんだかんだ言って楽しく話をする関係になれて、

ほがらかにさよならをする、とか。

 

でもね、この技術、私も含め、最近だいぶ習得している人が

少ない気がするんですよ。

 

もちろん、軽い知り合い程度の人と下手に話をしちゃうと、

一回きりの関係じゃなくてしょっちゅう会うような人だと

今後もその人と行き会った時は話をしなくちゃいけないから

ちょっと面倒くさいとかホンネな部分もありますけど、

でもそれにしても、そのテクニックを身に付ける場所がない。

 

 

最近どこかで読んだエピソードで、(どこだったかなー。)

震災の日に、都心から自宅まで、何時間とかかって歩いて帰った人たちの

話が書いてあったんですけど、

みんなずうっと黙って歩いて、一人抜け、二人抜けして

ほんと最後の最後、もう自宅到着間近っていう頃になってから、

ようやく「あのう…」って声をかけて話をしたっていうエピソードがあったんです。

で、少し話をした後、別れ際にはせっかくなので、と名刺交換をしたっていうね。

 

そうか…orzって思うけど、

でもこれもつまりそういうトレーニングをしたことがない、っていう

その一言につきる気がします。

ああ、広場で独りの人に声をかけられるラテン人に憧れる。

 

とかまあそういう訳で、

この内容は、今年の夏に書籍化されるようですので、乞うご期待!

  

モールについて語ってみる

モール。はい、来ました、モール。重いテーマだ…。

重いテーマに手を出してしまった。

 

いや、好きですよ、モール。ショッピングセンターと言ってもいいですけど。

品揃えの良い本屋はあるし、カフェはあるし、おもちゃ屋さんはあるし、

時間つぶしには最高ですよ。行っちゃいますよ。

浅草行くより、東雲のモール行った方が東京のローカルが分かる言うのも納得、

とついついつぶやいてしまうような本を買った。

 

 ショッピングモールから考える。(初めてkindle買っちゃったよ。)

 

 

モールに捧げた金銭はどこに行く?

 ただね、ただね、その快適で楽だ、

っていうそこに安穏としてていいのか、っていうそういう抵抗感というか。

以前も書いたように、

多分この先中間層は落ち込んでいくばかりで、

イケダハヤトさんがいうように年収150万円で生きていかなきゃならないとして、

それなのにわざわざ資本の王たるモールに

そのわずかばかりの収入を毎週毎週週末に捧げてていいのか、と言いたいのよね。

 

そうやって捧げたわずかばかりの金銭は、

ほぼほぼトリクルダウンせずに企業の余剰金として塵と積もっていくわけで、

それはつまり、どちらかというと中間層を没落させるためのものに

なってしまうわけよね。

もちろん企業の論理として、人件費を削減していくのは、

賢くてクールな選択肢なわけですが。

 

質問者A:自営業者対大手という構図になるとなかなか勝ち目が無いので、

もう少し自営業者が入り込む余地はないのかなと。

東: うーん。質問の意図は分かるのですが…。しかし、個人商店の強みと

いうのはなんでしょう。そこでしか買えないものがあったり、

なにか個性があって、勝負したりするというのならば分かる。けれど今や、

個人商店も大手チェーンも基本的には卸売業であって、同じものを

売っている。だとすれば、安くて品揃えが充実していた方が

良いにきまっている。

  

と引用してみました。安くて品揃えが充実しているのを好むのは

全く普通のことなんだけど、

(かくいう私もまったくそういう風にしか消費行動を起こしてないけど)

ただそれが長期的には自分のポジションを良くするものではなく、

むしろ自分のポジションを落としていくことであるのに、

全く何の抵抗もしないのは本当にそれでいいのか、と思う訳なのです。

 

人間は、環境で動かされるところもかなりあるから、

もし、モール的に整った、でも小商いが強い消費の場があれば、

わりと自然とそういう場所で買っちゃうんじゃないの?

 

モールに10年間通って得られるものは?

今は商売の場の話をしていたけど、

その商売の場が同時に人生のtipsを得られる場所だったらどうでしょう。

 

もし毎週末に通っているだけで、

仕事の起こし方も教えてくれる人間関係を作れたり、

実際自分でも屋台を始めて見ることが出来たり、

今のところおおかたの家庭は核家族か2世帯居住で、

子どもにとってもなかなか斜めの関係の他者と関係なんて持てないけど、

斜めの関係の人と知り合う機会を持てたりとか、

そういうことを10年やってれば、

人生を自分でハンドルできる力を持てる可能性がある。

 

そしてそれを可能にする場が

広場っていう場なんじゃないかな、と思ったりするのです。

そういう懐の深い場になる可能性が広場にはある。

 

毎週毎週モールに行って、10年間で得られるものは

自分のポジションを緩やかに下降させることだけだけど、

毎週毎週こういう場に行って得られるものは大きな人生の財産なんじゃないかな。

 

人生を自分でハンドルできる力を身につけるのは、

今の現状でも出来る人はいるから、必ずしも広場が必要な訳じゃないけど、

例えばそれは親が自営業で、商いの仕方を肌で分かってるとか、

行動力がかなりあって、都内で毎週いろんなイベントに参加できるとか、

自分で仕事を起こせる人と自然とコンタクトとっていけるひととか、

ある意味恵まれている人ともいえる。

 

割合で言うと、高収入の親の元からのほうが、

レベルの高い大学にいけるのと同じように、

自分の生まれ育った環境や、もともと外交的、行動的という要素を持っている方が、

人生を切り拓いていく力が強いようなもんかな。

 

非正規で働いている人はそういった機会に恵まれなかっただけかも知れない。

850円でバイトをし続けているうちに、何も得られないまま年をとっていって、

でもそれは彼なりの精一杯だったかも知れない。

もし彼にそういったtipsが自然に得られる環境が整えられたら

もっと違う人生の方法を思いついたかも知れない。

 

子どもの時代に、毎週毎週モールにいって、飾られているおもちゃを

みて消費欲をあおられる代わりに、

毎週毎週そういう広場にいって、ちょっと年上のお兄さんから

じわじわと人生の送り方をまなんだら全く違う人生を送っているかもしれない。

 

そういう教育的な効果を持たせることができるのが

広場なんじゃないのかなって思うのよね。

 

 それでも広場を作りたい 

たしかに今のところ広場を作るって言っても、方法論はすぐには見えてこない。

一体どこの空間を、どういう資本で、どうやって広場にするんだって

そこの運営は一体誰がどうやるなんて、胸ぐらを掴まれても答えられない。

 

だけど、今やり方が見えないからと言って、

それが作らなくていい理由にはならないのです。

 

やっぱり広場はあるべきだと思うし、

カフェがこの15,6年間であっという間に日本を席巻したように、

広場も日本中に出来上がっておかしくないものだもの。

 

 

コンバージョンレートの低下が表すもの

多分毎週モールに行っちゃうのも、

結局他に分かりやすく行きやすいところがないのですよ。

 

だって、大人にとっては、公園なんて別に面白いもんでもないもん。

もちろん、子どもの気持ちを鑑みて、出来るだけ精一杯

子どもの気持ちになりきって公園遊びをするけど、

さすがに1時間公園遊びをしてたら、

「ちょっとコーヒーでも飲ませてくれ」って言いたくなる。

子どもが遊んでるのを砂場のそばに立ってみてるだけなんて、

そりゃ面白くなくてもしょうがないし、冬なら寒いし、夏なら熱いし。

そんなわけで空調が効いてて、大人の楽しめる娯楽があるモールが

定番のお休みのコースになってしまうんでしょうね。

これも似たような箇所があったので、本から引用。

 

アメリカにあるモール・オブ・アメリカの紹介途中で)

このモールはとにかくすごい広いので、ぐるぐる回っているだけでも

一日つぶれるんです。面白かったのは、モールなのに買い物袋を下げている

人が意外と少なかったこと(笑)。みんな実は何も買っておらず、

時間つぶしに来ている。まさに公園ですね。

 

以前どこかで、これ以外でショッピングモールについて

書かれた文献を読んだ時にも書いてあったのですが、

オープンして、しばらくたつと、コンバージョン率(レート)が下がるんだそうです。

コンバージョンレートというのは、そのお店に来店した人のうち、

どれだけの人が買い物をしたか、という率。

つまりぶらぶら暇つぶしに来るけど、特にものは買わず、

お茶飲んで済ます、というお客さんが多くなってくるという訳ですね。

 

スーパーみたいな業態じゃない限り、

コンバージョンレートが下がることは、普通のことなんでしょうが、

つまりそれだけ、特に買い物する訳じゃないけど、

なんか家じゃない他の場所にいたい、っていう気持ちが

多くの人の中にあるっていうのが、証明されたってことでもある訳です。

サードプレイスが欲しいってことでもある訳です。

ここで私はサードプレイスを広場、って読み替えてしまう訳ですが。

 

というモール論、ちょっと詰めも甘いところもあるかもしれませんが

この辺で。しかし、見出しをつけるっていうのは、

また違う頭の筋肉を使いますね。

  

 

ちなみに我が家は年末年始、

とくに大晦日とお正月連続でモールに行くことは

自分に禁止してます!(詳細は以下のエントリで。)

 

土日にやること - ちなみに広場について書いてます。

 

 

 

 

 

街のリビング

もうひとつね、広場を違うたとえで表してみようと思ったのです。

 

 

人が暮らす家にはね、通常リビングがありますよね。

リビングの役目って、分かりやすくは、ご飯を食べたり、

テレビやDVDを見たりする。

まあ本を読んでも良いし、家族がいるなら、家族でカードゲームしても良いし、

you-tubeでアニメ見ても良い。そして家族同士の会話がある。

たわいもない話が半分以上だろうけど、パートナー同士であれば、

重要な話もするだろうし、親と子どもであれば、それはそれで

親子にとって大事な話をする。

 

 

そして次は、もうかなりメジャーなシェアっていう暮らし方。

シェアハウスの特徴は、共同のお風呂だったり、キッチンだったりすることの

珍しさや、一緒に住むことで家賃が安くなるといったところに

注目されることも多いですが、

ここでのポイントは、リビングを共有していることです。

 

 

このリビングでは、普通の住居とおなじく、ご飯を食べたり、テレビを見たり。

シェアハウスのリビングの設計で大事なのは、

居住者がリビングに入りやすいということ。

これを分かりやすく書いてあるblog記事があったので、ご紹介。


シェアハウスの作り方(間取り編)

リビングが大事

単に台所や風呂や家具が共同なだけの安い家ではなく交流やコミュニケーションが生まれるような場所を作りたい場合、重要なのはリビングです。リビングに人が集まりやすい雰囲気を作りましょう。リビングが居心地悪かったり狭かったりして使いづらいと誰もリビングを使わなくなり、そうすると住人各自がそれぞれの部屋にこもっているだけの単なるアパートになってしまいます。

 リビングを選ぶにあたってはまず広さ。広ければ広いほどいいですが、最低でも6畳か8畳くらいは欲しいところです。リビングの容量があると、お客さんを呼んで鍋を囲んだりだとか遠くから来た友達をソファで泊めたりなどの交流が生まれやすくなります。

 

次にリビングの配置。構造的には、住人が玄関から入ってきて自分の居室に帰る途中にリビングの様子を覗けるような位置が理想的です。リビングに今誰がいるかだとか、飲み会が行われているかだとか、それが自然に確認できると使いやすいためです。リビングのドアが閉まっていてドアを開けないと中を確認できないような作りだと、ちょっと開けるのにためらいがあって足が向きにくくなります。

 

ギークハウスプロジェクト

 

シェアハウスは、それぞれの居室にすんでいる住人が

シェアハウスに住んでいる家族で、その家族と会話をするのが、共有のリビング。

この共有のリビングでコミュニケーションをとることで、

シェアハウスにいる人同士がお互いを理解して、お互いをすこし近く感じて、

すくなくとも、街の中ですれ違うだけの全く見知らぬ他人じゃなくなる。

 

 

そう考えるとね、そう考えるとね、

もし、街全体でひとつのコミュニティっていう考えがあるのなら、

街全体のリビングがあってもおかしくないんじゃない?

そこに同じ街に住んでいるという家族である住んでいる人一人一人が集って、

(まあこの単位に家族っていう言い方はちょっと微妙だとしても)

ご飯を食べたり(コモンミールとか、キリンのtable of dreamsっていう活動みたいな?)

テレビを見たり(パブリックビューイングとか?)

ゲームをしたり、(大きなチェスや、大きなオセロがあってそれで遊ぶとか?)する。

 

 

そしてここも同じくリビングだとしたら

ここでも居住者同士のコミュニケーションが起こる。

街のリビングで街の住人同士がコミュニケーションをとることで、

お互いを理解して、お互いをすこし近く感じて、

街の中ですれ違ったら、まるでちょっとした知り合いかのような感覚になる。

 

 

たわいもない会話や、たまに重要な会話をちゃんと交わす夫婦の仲が、

そうでない夫婦よりも関係が安泰なのと同じように、

日々のちょっとした会話や、たまにある互いの誤解を解くような会話が

ちゃんとあるシェアハウスの方が、

シェアハウスとしてちゃんと機能しているのと同じように、

街だって、ちょっとした会話と街としての重要事項を考えるような場が

ある方が、街として魅力的に違いない。

 

 

うん、これ今日私が思いついたかのようなエントリですけど、

アメリカで熱いポートランド

そこにあるパイオニア・コートハウス・スクエアという広場の愛称は、

「Portland's Living Room」なのでした。

 

 

そうだよ、広場って街のリビングじゃないのよ、

って膝を打った瞬間にこの話が出てきたのでした。

 

 

 

 

ちなみにこちらも参考にどうぞ。

2011に横浜の赤レンガ倉庫の前で行われた

「いっしょに食べよう。2011 YOKOHAMA LONG TABLES」は見た目が素敵すぎです。

こういうの開きたいな。


Table of Dreams 夢の食卓|CSV活動|キリン

 

定常経済になるってことは、毎日の生活に幸せを見出だす力が必要になるんだ。

さてさて“資本主義が終わる時代に現れる生き方”なんて堅めの

感じで広場に言及しましたけど、

広場の力はね、別に商いや商売のためだけじゃないんです。

 

 

資本主義が終わる、そして定常経済になっていくっていうのは

どういうことかって言うと、

高度経済成長時代にみんながもっていた幻想が崩れていく時代です。

今日よりも明日、明日よりも明後日、先の未来の方が幸せになるんだよ、

っていうのが本当に信じられていた、そういうものが溶けていく時代。

 

なんか書いておきながらなんですが、こういう言い回しをしょっちゅう見るから、

バブル後世代としては、ほんとかよ、って思っちゃうんだけど、

それに対する実感のこもった回答を見つけたので紹介。

 定常社会について本を読もうと思ったら飛び込んできた本です。

 

新・幸福論: 「近現代」の次に来るもの (新潮選書)

新・幸福論: 「近現代」の次に来るもの (新潮選書)

 

 

そしてこの時空の中で,人々は自分が豊かになっていくことを

実感したのである。確かにこの時代に生活は激しく変化した。

1953年に放送を開始したテレビは、1959年の「皇太子(現天皇)ご成婚」

の中継をテレビで見ようとする人々を生み、

1960年前後に大きく普及していった。

当時は、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」を揃えることが

庶民の夢だったけれど、1960年代中葉には、

それらを持たない人の方がめずらしくなっていた。

1957年には女性週刊誌が創刊され、新しい出版マーケットを

つくり出していった。

三種の神器」も1966年になると、自動車、カラーテレビ、

クーラーへと変わり、その頃から海外旅行も一般の人の手に届くものに

なり始めていた。

こうして家を購入し、さまざまな商品を手に入れ、

子どもを大学に進学させる生活が実現していった。人々はまぎれもなく

豊かさを享受していった。

そしてこの時代に人々は仕合せだった。なぜならこの豊かさの中に

幸せがあるというイメージが人々を包んでいたからである。

このイメージに包まれて人々は幸せを感じた。

 

高度経済成長期はもう40年くらい前のことだから、

想像力を駆使して考えるしか無いけど、

この短い期間で、生活を一段と便利なものにするものが出てくるって言う状況は、

今の私たちにとってみたら、

日本がまるまる他の国になっちゃうような感覚だったんでは、って思います。

(うーん、ちょっと説明しづらい。)

私がイタリアに行ってポジティブなイメージをイタリアに持っていて、

日本もこうなったらいいのになぁ…って思っていたら数年後には

ほんとにイタリアになっちゃった、みたいな。

憧れているものに近づけているんだったら、

そりゃあ幸せになるルートを歩んでるぜ、って思い込んじゃうよね。

 

ただ、それを信じられたのは、ある年代の人までで、このあとに、

「だが今日では、このイメージの中に幸せを感じない人たちがふえてきている。

特に若い人たちはそうだ。イメージの変容が、感じられる世界を変えたのである。」

と続いていくのです。

時代がかけてくれた魔法が、徐々に消え去った訳ですね。

 

つまり今までは、よりよくなる明日の為に今はこれを我慢して耐えよう、とか

ここを踏ん張ればもっと良くなる、とかそういうロジックが使えたんだけど、

もう、明日がより良いとか、成長でもっと良くなるっていうイメージは消えてしまった。

 

成長することで幸せになるというロジックが消えても

それでもまだ幸せになる、なりたい、という希望はきっちりあるのなら、

もう、今すぐこの毎日の生活の中で幸せになるしかありません。

ってことはつまり、毎日の生活に幸せを見出だすことが必要なのです。

それがきっと定常経済になるっていうことなのです。

 

でも、今生活の中で幸せを見出だすとしたらどんなことがあるでしょう。

朝起きて、8時から5時まで、もしくは、9時10時まで

月曜から金曜まで働いていたら、

幸せを見出だすのなんて、帰りの電車で見るスマホくらいです。

コンビニスイーツとか。家帰って開ける一本のビール(第三の)とか。

 

それも幸せですけど、たしかにそれも幸せですけど、

それだったら今までの社会と変わらないんじゃないのかな。

もうちょっと上質な幸せがあってもいいんじゃないのかな。

そしてそこにあったらきっと上質な幸せをつくりだせるんじゃないかな、

と断言できるのが、広場なのです。

 

なんかもうたびたびですけど、イタリアの話。

 

イタリアを暇なバックパッカーで旅行してる時、

たまに訪れた町の広場を(たまに散策を交えつつも)

朝から夕方まで眺めているような時がありました。

 

イタリアの広場は、朝のおばあちゃんの八百屋さんへの買い出しから始まり、

常に誰かがいてにぎわっているのですが、

広場の賑わいのピークは、大体3時、4時くらいなのです。

 

その時間は、学校帰りの子ども達や、その子ども達のお母さん達や、

犬の散歩をしにきた今日広場2回目のおじいちゃんおばあちゃんや、

とにかくいろんな人がいるのですが、

面白かったのは、そのくらいの時間になると、

きちんとスーツをきたいわゆる働き盛りといった男性までも

広場で、誰かと立ち話をしていたりするのです。

 

なんかこの、夕陽の差し込む中での広場での時間が

独りでカフェからその様子を眺めているだけの私でも、

幸せを感じる空気感でした。

 

きっと日本のそれぞれの町に、そんな広場があったら、

それはそれは素敵な光景が毎日見られるのにな。

きっとたくさんの人が、毎日夕方、人の様子を眺めに広場に行くだろうにな。

 

一番広場に行くのは、時間のあるおじいちゃんおばあちゃんや、

小さな子どもを連れたお母さんたちかもしれないけど、

(多分JKも学校帰りのマックの代わりに使うに違いない。)

働き盛りの男の人や女の人も、仕事の休憩で広場に降りてきて、

子どもたちの歓声を聞いて、ちょっと幸せな気分になるだろうし、

仕事が早く終わった日は、明るいうちから広場にある

立ち飲み屋さんで一杯引っ掛けていったりして、

それはそれは幸せな感じ。

 

そんなことにも使えるのが、広場なのです。

 

 

資本主義が終わる時代に現れる生き方とそれに必要な場所4

さてそんな訳で商店街が今のところまだちょっと弱い、って

言うことが分かったところで、

ようやく本題のそれに必要な場所=広場っていう話に入れる訳ですが、

実はこの話、話がありそうであんまりない。

なんでかっていうと、前回のエントリまでの話は、

実際今もう起こっていることを考えてみた話ですが、

広場の話は、あくまで私が必要、って思うだけの話だから、

根拠もエビデンスも何も無く、

先日のエントリに書いたふわふわしたイメージしか無い。

 

 なにかたくさん人がわいわい集ってて、なんか楽しそうにしていて、

たまたま通りかかったら楽しそうにしてたからちょっと覗いてみて、

お、なんかお店いっぱいあるじゃん、ってなって、

寄ってみよ、ってなっちゃうようなそういうことを

引き起こしてくれるような場。

その場所を目的として見に来る人もいるかも知れないけど、

同時に人をひき込んでしまうような場所。

そういう場所が常に開かれてオープンな場としてある

 

ただ、話の飛躍と言われようが、広場があった方が、

きっと町がよくなる、っていう気持ちは切実にある。

それはわずかばかりの広場での実体験を通して思ったこと。 

今は無くても、それが無い方が良いっていう理由にはならないですもんね。

 

それで、肝心の広場の話をしてみると、

まずは、商店街の一角の空き地を

広場として使うって言う方法でもいいとおもうんです。

(そこに余計な車が突っ込んでこなければ。)

 

 

以前、倉敷に行った時に、こんなエントリを書いた訳ですが、

(これはどちらかというと街並について書いたエントリ)

おいでんせぇ倉敷へ - ちなみに広場について書いてます。

 

倉敷駅からエントリに書いた街並保存地区に行く前までに、

昭和的な商店街があって、やっぱりシャッター通り

なっていそうな雰囲気もあったんだけど、

たまたまその日が土曜日で朝市をやっていたんです。

で、朝市が商店街の通りで行われていたんですが、

普段は駐車場スペースとして使われていそうな空間が

その時は、簡易な椅子やテーブルが置かれて、

買ったものを食べられるスペースになっていました。

そこで結構みなさんが食事を楽しんでいました。

これもある意味簡易な広場。

 

 

もしくは、神戸に行った時に見たのは、

神戸の中華街の真ん中付近にあった、ぽかっと空いた空間。

こはちゃんとデザインされた場所なのですけど、

そこにあずまやとかベンチ的なものが置いてあって、

そのまわりで売られている肉まんやらちまきやらをみんなが

思い思いに頬張っていて、うわ、ここぜったい広場!って思いが溢れました。

たぶん、神戸市民のここに来る率は高いに違いない。

 

っていうのが、取りあえず商店街の一角に作れば

いいんじゃないっていう話。

 

でも本当は、街のとても象徴的な場所に、

ずばーんと広場があるといいな、と。

片側が海に開けてる、とか、片側からは富士山の雄大な眺めが見える、とかね、

なんかこう、広場全体に方向性があって、

シエナのカンポ広場だと、すり鉢状=地面が斜めになっているので、

自然と座る向きが決まって来るのです。)

人が同じ方向に座る方が同じ方が、広場として落ち着くし、

視界の抜けがあった方が、気持ちよさはアップする。

そういう視覚的な効果もちゃんと発揮されているようなそういう広場。

(じつはまだ多分日本にない気がする。もしあったら教えてください。)

 

これからの生き方をする人たちが、そういう象徴的な場で

自分の小商いを毎日楽しそうにやっていたら、それはもうものすごい主流力ですよ。

来た人来た人みんな巻き込まれちゃうに違いない。

 

 

そしてそういう視覚的な効果を持っている場所だったら、

単に、商いの場所として有名になるんじゃなくて、

シエナにとってのカンポ広場のような、

ベネツィアにとってのサンマルコ広場のような、

その都市を表す場所になります。

 

新しい生き方を目指す人たちがつながりを求めて移住して来るだけじゃなく、

観光客だってふえちゃうかも知れない。

 

そんな一石二鳥のポテンシャルを、よくできた広場はもっている。

今はそういう場をつくる時代なんだと、ちょっと切実に思うのです。

 

 

資本主義が終わる時代に現れる生き方とそれに必要な場所3

分かった、分かった、お前が広場が良いっていうのは分かった。

お店が集ってた方が確かに気分が盛り上がるもんね。

 

でもじゃああなんで、そういった商業の集積の場であった

商店街はだいぶ寂れちゃったのよ?

商業が集積されれば別に商店街でもいいんじゃないの?

もし商店街が上手く行ってないんなら、広場だって上手く行かないんじゃないの?

というご質問があるとして。

 

うーん、商店街の話はたくさん議論されてて、

寂れた原因もかなりはっきり分かってそうですが、 

(便利なスーパーマーケットが出てきちゃったとか、

そのうちショッピングモールができてさらにそっちに流れちゃったとか。)

 私がひとつ切実に思うのは、

やっぱり車の登場が大きかった気がするんです。

買い物をする時に大事な高揚感や、わくわく感を

車が商店街のど真ん中を走ることで断ち切っちゃった。

だから商店街は寂れてしまった。

 

先日ね、房総のむらってところに行ってきたんです。

房総のむら、っていうだけあって、千葉県の房総半島にあるんですけども、

房総の古代から近代現代までの里山の様子や、農家を展示していて

同時に、近代の商家の街並なんかを展示している場所なんですね。

博物館ではあるんだけど、実際の街並を展示しているので、

ドラマのロケなんかにもしょっちゅう使われている場所です。

 

で、その商家=お店屋さんの通りはだいたい200mくらいで

その両脇にトータル20軒弱お店が軒を連ねている訳ですが、

まあ当然江戸時代くらいをイメージしているので、

車道、歩道って言う区別は無くて、

幅が7mくらいの道路の両脇に直接お店屋さんがひっついているわけです。

で、そういう状態のお店が20軒ほど連なっている。

 

その真ん中を歩くとね、あ、これは広場の感覚に近いね…。となったんです。

細長い広場って感じ。

たまたま私が行ったのは、平日だったのでがらんがらんでしたけど、

ここはお正月なんかは割と混み合いそうなので、

きっとわいわいした感じがあるでしょう。かなり賑やかな感じです。

それが日本の商店街のそもそもの形だった。 

 

それを想像していて私は、

あぁ、この道のど真ん中を車が通るようになっちゃったのか…と

愕然とした気持ちになりました。

 

昭和になって、高度成長期に車は普及し始めました。

その時に、(当然と言えば当然ですが)車は道を走る訳です。

つまりそのときの道は、房総のむらに見られた、歩道も何も無い道は、

車が2台行き交ったらいっぱいになってしまう狭さです。

 

今でも、昔からある町の中心市街地に行くと、

歩道も何も無くて、やったら狭い道があったりしますけど、

(例えばドラえもんで出て来る町には歩道がないですよね。)

そこは江戸より昔の道路をそのまま車が通る道として使っているってことです。

 

車が通るということは、歩く人にとっては快適な環境じゃないのは明らかです。

常に前から後ろから来る車に気を使っていないとならない。

子供がいるならずうっと子供の動向に気を使って歩かないと行けない。

大人だって、何となく端っこを歩かないと落ち着いて歩けない。

当然みんなここを歩く時は、緊張感をもって歩くでしょう。

 それは必然的に、買い物の時に必要なふわふわお店を見廻るモードを断ち切ります。

(だいたい買い物する時って、後ろも前もあまり見ずに、あ、あっちにいい店があるよ!

こっちにも気になるものがあるよ!ってなりますよね。)

 

まあそれは、車が出てきてしまったからある程度は仕方がないとも言えるけれど、

それを商店街のど真ん中に通すことを許したのは、

とてもまずいことだったんじゃなかろうか…。と思いました。

そういったふわふわお店を見廻るモードを提供できなくなった商店街は、

(車の心配のない)スーパーマーケットに負け、

そしてさらに人工的に町をつくり出しているショッピングモールに負けた。

 

そしてそれは未だに解決されていない問題で、

日本の多くの商店街はそこから抜け出せていないのです。

それが日本の商店街が寂れた大きな原因じゃないのかな、と思い至りました。

 

例えば、前回も出したショッピングの町としてちゃんと今も栄えている、

代官山、自由が丘、吉祥寺、下北沢。

ああいう街は、車で街中に入っていくのがためらわれます。

車よりも当然人が優先されている感じ。

車でその道を走っていくと歩いている人に舌打ちされそうな感じ。

でもそれが買い物する場所として栄える為には、とても大事な条件なのでした。

 

話がちょっとずれるので、この話に関してはこれくらいにしますけど、

やっぱり車道は商業のど真ん中を通しちゃダメだったんですね。

動線全然なってない、って感じです。

 

そんな訳でまた続く。