ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

商店街と広場はやっぱり切り離せなかった。

なんか富山の広場について書く前に、商店街について書いてみます。

先日ちょっとだけ商店街について書きましたけど、

 

あの時よりもうちょっと勉強したので、再再々チャレンジ。

広場広場と連呼しているけれども、広場に至る為にはもっといろいろな

ことを画策しなければならないのだな、と思い直して、

再再々チャレンジ。 

 

閑散とした、「こんなとこ誰が来るんだよ、」って苦笑されるような広場じゃなくて、

活気のある広場を作りたい身としては

活気の出る可能性のある中心市街地のこと、

そして活気がでる要素のひとつである商店街=商業が集ってる地域

のことを考えない訳にはいかないことに気付いたのでした。

 

本当に活気のある中心市街地が出来る要因は複合的で、

いろいろな要素が組み合わさっていて、

その要素のどれが抜けても活気は出せないって考えると、

流行るお店の経営と似てるのかも。

 

流行っているお店は、売っている商品にニーズがちゃんとあって、

商品の価格が適切で、お店の場所が入りやすいように考えられていて、

ってなっているように、

活気のある中心市街地も、

行く理由(ニーズ)があって、

行きやすいような交通が整えられていて(車で行っても無料で

停められるようになってる、とか電車が発達してるとか) 

歩きやすくなってる(車が進入してこないとか)

そこに満足できる商業の集積がある、みたいないろいろな要素が

うまく活かされてるんだろうなぁ。

 

 

今回の参考テキストは、

 

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

 

 いやー、本文の途中あたり、ちゃんと読み込めていないんですが、

でも書いてみよう。

 

 

それで今日は商店街のこと、というよりも働くっていうことからも見ていきます。 

今日の話は、

資本主義が終わる時代に現れる生き方とそれに必要な場所1 -

ちなみに広場について書いてます。

のこれからの生き方っていう部分と結構リンクした話ですよ。

 

本文の冒頭のところと最後の部分をまとめてみます。

抜け道のない日本社会 

 村上春樹は、作家活動を行う前、東京・国分寺市でジャズ喫茶を

 

経営していた。ジャズ喫茶をオープンしたのは、

 

早稲田大学文学部に在学していた、1974年のことだった。

 

村上春樹は当時のことを次のようにふりかえる。

 

 

(略)金はないけれど就職もしたくないなという人間にも、

 

イデア次第でなんとか自分で商売を始めることが出来る時代だったのだ。

 

 

 (中略)しかし村上春樹は、自分が出店したころから、ーオイルショック

 

のころを転機として、ということになるがー、

 

自分と同じようなチャレンジをおこなうことが徐々に難しくなったという。

 

土地・建設費が、猛烈な勢いで上昇してしまったからである。

 

自分で事業を興せないとなると、就職したくない人は、

 

いったいどうなるのか。

 

 

今、「金もないけど、就職もしたくないという思いを抱いている若者達は、

 

いったいどのような道を歩んでいるのだろうか?

 

かつて僕もそんな一員だっただけに、現在の閉塞した社会状況は

 

とても社会状況はとても心配である。抜け道の数が多ければ多いほど

 

その社会は良い社会であると僕は思っている。

 

 

この文章が書かれたのは、1980年代はじめであり、今から30年ほどの

 

年月が経っている。当時に較べると、地価は大きく下がったし、

 

若者の起業支援も増えた。しかし、21世紀の日本で、

 

「抜け道」があると感じることが出来る人はどれだけいるだろう。

 

(中略)このデータを見ると、若者の起業意欲の低さが目についてしまう。

 

しかし、ここで問題なのは、起業意欲そのものではない。

 

それよりも、雇用以外の「抜け道」がかけてしまっている状況、

 

あるいは、「抜け道」があることを想像できない状況こそが

 

問題なのである。

 

 

なんとなく、今、多くの人がその抜け道を作ろう、見つけようと

模索している状態なのかな、と思う訳です。

実は最近、知り合いや、友人といった人が、ちょこちょこと

仕事を辞めて、次のことを考えようとしていて、

振り返ると私自身は以前の職を辞めたのはもう数年前で、

次のことを考えるという過程を経ているというか、

いままだ渦中といった部分もある訳ですが、

なんかもう、自分のことを考えても、まわりのひとのことを見てみても、

新卒で就職して、辞める、というのはゴールデンルートにも思える訳です。

その会社を辞めるまで、1、2年か、3、4年か、5、6年か人によって

期間は様々ですが、辞めるのはもう普通な気がする。

率にしては、3割くらいかもだけど、もっと割合高そう。

 

その後の展開は人によって様々で、

転職を考える人が多数なのでしょうが、

そういった中でも以前より多くの人が、

自分で何か仕事をつくり出そうとしているんじゃないかな、

と思う訳です。

 ネット起業だったり、小さく商いだったり。ナリワイだったり。

(うん、前も書いたネタだけどね。)

 

ネットで起業も、お店持つコストがかからなくて悪くないけど、

コンパクトシティを押し進める上で、中心市街地のにぎわいを取り戻す為にも

商店街(+広場)で、こういう人たちが商いをしていくと一石二鳥。

お互いの足りないものを補いあうかたちの最高のマッチングな気さえします。

 

(お、ちょっと前に商店街ダメだししてたじゃんかよ!って言われそうですが、

君子豹変す、になって、朝令暮改して、広場も作るっていう前提で、

商店街を使わせてください。ただし車は入ってこないのが条件で。)

 

 

 そんな提案をこの本の最後の章でもされてます。

 

また新しい商店街は、地域社会が土地を管理する仕組みを考えても

 

よいだろう。すでにいくつかの地域でおこなわれているが、

 

まちづくり会社」が空き店舗を管理し、それを意欲ある若者に貸し出す

 

という方式も有効である。この仕組みをもう少し広げて、

 

地域住民が土地や店舗を管理し、営業者を住民から募集することがあっても

 

良い。

 

こうした提案を行うのは、居場所や出番が失われがちの若者に、

 

事業をおこなう機会をつくり出したいからである。

 

私の父親は1941年生まれで、九州の地方都市でコンビニを

 

経営しているが、毎月のように銀行から営業の電話がかかってくるそうだ。

 

なぜ銀行は私の父親のような高齢者に営業活動を行うのか。

 

それは私の親がわずかながら土地を持っており、それを担保に事業を

 

行っているからだ。将来性あるなしに関係なく、土地を所有しているか

 

どうかで、融資がきまることを物語るエピソードである。

 

 

なんかさ、職業安定訓練所ってありますけど、

新しい職業訓練として、自営の訓練ができる訓練所ってどうかな?

中心市街地に結構大きい敷地を、地域住民か、もしくは、

自治体そのものがもって、そこにでっかいがらんどうの建物を作って、

その中で、屋台が連なって、自分が出せる商品を

一品でも良いから出せる、みたいな。

イメージとしては、築地市場とか、沖縄の市場みたいなわりとラフなイメージ。

もしくは、ドイツのクリスマス市、みたいな。とにかく屋台、ってのがポイントかも。

屋台は自治体の持ち物だったりして、借りてる形にして、

とにかく最初の開業資金が安く済ませる。

マイクロクレジット的に貸せるんじゃないかな。それくらいの規模だったら。

で、そこでとにかく商売とはなにか、っていうのを訓練することができる。

そこで練習して、何年かやってみて、もう独立してやっていけるってなったら、

そこから出てく、とかね。

よく言うじゃないですか。魚を与えるより、釣りの方法を教えろって。

教えられたい。

 

うーん、まあ方法はどうであれ、

シャッター商店街×商いを起こそうとしている若年者っていうのは

最強の組み合わせ。

問題は、そこに至るまでの道を、どうやって作っていくか、なのかなぁ。

 

 

そうやって、中心市街地が面白い動きに溢れてくれば、

人の流れがたくさん出来てきて、活気が出てきて、

一番流れが渦巻いてる中心に広場を作れば、もう最高のハーモニーの

出来上がりですよね。では、また来週!