ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

良い広場作る時に守るべき5つのルール その3

すすすすぅすすぅぅすぅぅぅ、すすみませんでしたぁぁぁぁぁぁ!!!

 

って誰に謝るでもなく謝っておこう。

というわけでものすごい久しぶりのblog復活。

 

なんでこう、いきなり消えるかって言うとね、単純に言うとね、

ジッテ先生の解説し続けんの嫌になっちゃったんだよね。

書きながらね、もういい、そんな理論どうでもいい!

って思ったりするともうダメです。

 

広場が要らなくなったなんて思ってないし、やっぱり広場が

ほしいって言う気持ちがあるから復活してきたわけですけども、

義務感でこのシリーズを書き続けることに限界を感じて、

うっかり消えておりました。

 

とは言えね、このジッテ先生の話を尻切れとんぼで

終わらせるのもなんかこう収まりが悪いので、

よし、3行で書いちゃおう。

 

良い広場作る為の5つのルール、その3

3、広場の大きさと形

 

ちなみに残り二つはこちら。

4、古い広場の不規則な形

5、広場群

 

はい。これがまだ解説しきってない諸々の話。

 

3、広場の大きさと形

これはジッテ先生によると、広場の前には大抵その広場の主となる建物があります。

(これは主に教会と市庁舎です。)

この建物に対する大きさや形が良い広場になるためには結構重要、という話。

大抵教会前の広場は細長くなり、市庁舎前の広場は横幅が広くなります、

というのがジッテ先生の見つけた法則のようです。

 

とはいえ、日本に広場が作られるとき、教会や市庁舎があるから広場が

作られるわけではないので、いらないんじゃないの?そんな建物、って思いがちですが、

これに対して、重要な答えを日本の広場の大御所

小野寺康さん(大御所なのにさんづけ…)がだしています。

 

そう、広場に教会や市庁舎がある必要はないが、

 

広場には主景がいる。

 

きました。これですよ。これ。

これ大事。ものすごく大事。

 

 

日本の広場にも主景は必要です。

教会や市庁舎を持たない日本の広場でも、この主景になるものがある方が

人が自分の居場所を見つけやすいのです。

なぜなら、この主景を眺めつつ、自分の居場所を決めると、なんだか

居心地が良い場所になるんですってば。ほんとに。

 

 

例えば、富山の広場で主景となっているのは、大型のスクリーン。

大型のスクリーン?って思うでしょうけれども、

このスクリーンがあるお陰で、広場に来る人の視線が定まります。

どこをみたらいいか、っていう方向性があるのは、

広場に人を集める為には大事な要素です。

 

そして前回のエントリーに書いた姫路駅前広場。

この主景はそのサンクンガーデンの底を流れる川です。

段々になった階段に腰掛けている人たちが見つめるのは川の流れです。

これはもう間違いない。

 

このスクリーンや、川が主景になることの利点は

何かといったら、変化があること。

スクリーンは当然ながら流される映像が変化していくものですし、

川はその動きは少なくて分かりづらいかもしれないものの、川の水は

常に流れ続けています。

そして人は変化し続けるものをじっと眺めるのが大好きです。

 

例えば、焚き火の火を囲んだとき、そこを囲んだ人たちが

じっと見つめるのは、他人の顔ではなく、

変化し続ける炎の様子。

それがスクリーンや川でも主景になる秘密です。

 

小野寺さんは、山なども主景になると話しています。

つまりこういう浮世絵に登場する、

遠くにある富士山なんかもその良い例。

 

こんな富士山が見える広場があったらそれは当然

日本を代表するひろばになっちゃいそうですね。

 

とかわりと長い文章になってしまいましたが、

続きはいつになることやら。ではまた。