ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

どうやって土地を引き継いでいくのかというお話。

 

藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた

藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた

 

 すみません、本を参照してばっかりで。

でも、本の中に、ちょっとでも広場と関係ありそうな話があると、

読んでいる間に、なんか言いたいことが出てきてしまって、ついつい。

 

藻谷浩介さん。里山資本主義の本の人ですね。

里山資本主義、読んだけど内容を忘れてしまった。読まなきゃ。

 

で、藻谷浩介さんが色々なジャンルの人と、日本のことについて

対談するという対談集です。

7人の方と対談しているのですが、一人目の新雅史(あらた・まさふみ)さんと

商店街のことについて対談しています。

新さんは「商店街はなぜ滅びるのか」という本を書いています。

 

この本の中では、広場と絡めそうな部分も面白かったのですが、

なんかこう、もっと現代の土地を引き継ぐというシステムに破綻が来てる、

という解説がとてもシステマチックでぽん!と膝を打ってしまったので、

もうまるまる写そう。

 

商店街衰退を不可避にした理由

藻谷 本の中で、商店街の衰退を不可避にしたのは後継者不足であり、

 

その原因は商売の担い手が、家族以外の人間も取り込んだ近世商家的な

 

「イエ」から、親子だけの「近代家族」替わったことだと指摘されて

 

いました。

 

新家の祖父も、イエの論理の世界で修行して、それから「近代家族」を

 

形成された訳ですね。お父様は最初から近代家族として操業する。

 

そして子どもの新さんは跡を継がない。

 

なんかこの話、農家の話に置き換えても十分通じる話ではないですか?

私の母方の実家も農家で、それこそ江戸時代以来その場所に

生活してきた訳です。で、慣習どおり、5人兄弟の長男(母の一番上の兄)が

その農家を継ぎました。他の兄弟(母も含め)たちは、

全員そこから出て行き、今は、関東圏内に居住しています。

 

長男(私からしたら伯父さんですね。)夫妻には

息子がいますが、大学進学と同時に都内へ出て、

現在はサラリーマンとして都内にマンションを購入して住んでいます。

どう考えても、その息子(従兄弟ですね。)が

その場所に戻る予定はありません。

かといって、先祖代々の土地を他のだれかに売る、というのは

盆暮れに帰省するのみの、その土地に住んでいた訳ではない私でさえも

ちょっと抵抗があるという始末です。きっと、そこに住む人がいなくなって、

そこでの楽しい記憶を持つ人がいなくなった時に、

土地は売買可能になってくるのかもしれません。でもそれじゃ遅いか。

 

しかしそう考えると、ひとつの場所を代々継承していくというのは、

いわゆる核家族では土台無理な話だったという訳です。

 

藻谷:俯瞰してみれば、長らく続いてきた「イエ」をぶち壊して

 

個人を解放した近代家族も、実は過渡的なものだった。商店街をはじめ、

 

近代家族が労働者を再生産することを前提にした戦後システムも

 

長くは続かないということですね。(註:結婚しない人や、子どもを

 

持たないという選択肢をとっている人がふえているから、という話から)

 

(中略)

 

藻谷:近代家族に支えられた商店街が跡継ぎ問題で崩壊していったのと

 

同じように、我々の生きるこの日本の社会全体が、

 

後継者がいないという問題を抱えていますよね。

 

新:ええ。土地の所有についても、近代家族の崩壊とともに不動産が死蔵化

 

してしまっています。本来、跡継ぎがいないのならば、不動産などの

 

ストックはなるべく早く家族以外に引き継いでいけばよいはずです。

 

しかし、商店街の店主は、跡継ぎがいなくても、

 

不動産を固守しようとする。残されるのはシャッターが閉じたままのお店

 

です。こうして商店街は内部から腐っていく。

 

次にダメになるのは、同じく近代家族が土地を所有している

 

郊外住宅地かもしれません。

 

 

藻:郊外団地は、まさに商店街と全く同じ問題を抱えていますよね。

 

この本を「ニュータウンはなぜ滅びるのか」という題にして、

 

固有名詞をいくつか入れ替えるだけで

 

そのまま20年後に出版出来るかも知れない(笑)

 

新:まちづくりにおいてもこの問題を真剣に考えていかないといけません。

 

近代家族の論理だけで地域整備をしていては、すぐに限界がくるはずです。

 

そうだよね、そうだよね、とここで膝をぽんぽん打っていた訳です。

核家族で土地が継承できないっていうのは、

個人の職業選択の自由や、居住の自由を認めていれば当然起こりえることで、

でも今更、お前はこの土地を継ぐ為にここに住み続ければならないのだ、

なんていう親がいたら、大丈夫?ってなりそう。

子ども自身にその土地でやりたいことや仕事があって、

その土地に住み続けるならまだしも、もう土地ありきで人の動きを縛ることは出来ない。

 

とはいいつつ、ニュータウンだって、農村だって、

そういうことが起こっていて、さらにこれから人口が減っていく中では

圧倒的に空き家になる率が高くなる訳で、

その問題を根本的に解決する方法を考えていかないといけない訳です。

 

新:近代家族崩壊後の問題点として重要なのは、今後、資産のマネジメント

 

をどういう形でおこなっていくかということでしょう。

 

個人を肥えた存在として、企業というのはひとつの解ではありますが、

 

あくまで利潤を追求する為の組織です。これからは何か別の、

 

地域の資産管理をしていくための仕組みを考えないといけないでしょうね。

 

(中略)

 

藻:実験的な試みはいくつかあります。例えば、高松市

 

丸亀町再開発事業のA〜C街区では、地権者たちが

 

土地を自分たちの出資したまちづくり会社に貸し、

 

会社が土地の上に建てたビルは区分所有ではなく、

 

持ち分所有にする、という方式を取って成功しています。

 

ぎゃー、なんかここで勉強しないといけない言葉が出てきてしまったよ。

持ち分所有…。でもまあ今日のところは読み飛ばそう…。

 とはいえこれはあくまでも商業地として利用できるような場所の話。

誰もいかなくなってしまうようなニュータウンや農村なんかを

どうしていくかはこれから考えていかないといけない問題ですね。

 

考えてみれば日本人は、道路や上下水道は共有財産として認識しています。

 

これらは皆の税負担で維持して当たり前だと思っている。

 

赤字の鉄道は廃止しろというのに、道路も維持管理費を考えれば

 

大赤字なのに、廃止しろとはいわない。

 

 ところが、その道路で区画された個人の土地の話になると、まったく

 

話が違う。他人の土地に税金を使うことはもってのほかだし、逆に自分の

 

所有地はどうしようと自分の勝手、

 

いっさい口はださせないというような意識でいるのは不思議です。

 

 道路の修繕や整備、除雪までをすべて公のお金でまかなうという

 

システムを今の規模のまま、人口の減る時代にずっと維持できるとは

 

とても思えません。方やそれによってく分けられた土地は、

 

近代家族の解体に伴って相続人も減り、

 

すかすかに空いていくばかりなのですから。

 

夕張市の高台住宅地に行くと、行政がお金をかけて

 

維持している道路が空き地を囲んでいて、

 

たまに家があるという景色が広がっている。夕張限定の問題ではなく、

 

これがこれからの日本の姿なんです。

 

道路は共有地、土地は個人所有のままで私有地部分に人がいなくなる。

 

 (中略)

 

同じ理由で所有者が分からないから誰も使えない、他のことに転用

 

したくても、手を付けられない「腐った土地」が大量に現れています。

 

しかもそれは少子化と高齢化に伴って、

 

今後ますます加速度的に増えるでしょう。

 

っふぁー。なんかいろいろ人口が少なくなると

どういうことが起こるのか見えてきましたね。

でもきっとそういった問題は、

その問題があまりにも目にあまる状況になった先で、

解決を施そうという動きが起こるのではないでしょうか。

 

例えば、あまりにも空き家が目立ちすぎて、いろいろと問題になってきた自治体が、

ひとつひとつの空き家の持ち主に掛け合って

ちゃんと使用するか、売却するか、いらないなら自治体に売るか、とかいうそういう

判断を下すよう、促すことになっていくとか…。

 

もしかしたらそういう空き家を全部集めてかなりのボリュームになったら

ものすごい低家賃で(もしくはただで)空き家を貸し出します!

っていうサービスを自治体が始めて、

それで地域の活性化を図るっていうのが出てきそう。

 

そしてそれがバイラルして、どんどん進んで、よっぽど都内じゃない限り、

もう家賃なんて払わずに住める、みたいな状況が出来てきたら、

人口減少万々歳じゃない?

不動産屋さんは無くなって、DIY産業は栄えそうだ。

 

しかし、市役所とか町役場の中にひとつの課が出来ちゃいそうな問題ですね、

どうすんだろ。 (人ごとですみません…。)

 

とかまあ今日は社会システムな話でした。