ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

西村佳哲さんから、広場の話があります。(っていうのはちょっと誇張気味)

今日は軽めに。雑誌から抜粋。

 

SOTOKOTO(ソトコト) 2015年 03 月号 [雑誌]

SOTOKOTO(ソトコト) 2015年 03 月号 [雑誌]

 

 西村佳哲(にしむら よしあき)

1964年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業。

建築の仕事を経て「つくる」「書く」「教える」の仕事に携わる。

リビングワールド(www.livingworld.net)代表。

働き方研究家として、「自分の仕事をつくる」

「かかわり方のまなび方」「いま、地方で生きるということ」

など著書多数。

 

 

今年のお正月に

「ひとの居場所をつくるひと」というフォーラムが奈良で行われたそうですが、

その時の模様を書いた記事から抜粋です。

 

西村佳哲さんは、2000年代を通してずっと働き方を考えていました。

それを、「自分の仕事をつくる」という本に著されています。

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

 

 うん、この本、珍しくめっちゃ赤線ひいた本だ。懐かしい。

 

しかし、そうしたことを考えている間にも、

「仕事」の内容が、粗雑になってきたと言います。

西村さんはそれを「意味の含有率が高い仕事が減ってきている」と表現しました。

単純作業ばっかりとか、何の為にやっているのか分からないような

目につかないような状態になってきてしまった。

 

そんなときに魅力的に聞こえたのが、“営み”という言葉。

この営みには、仕事と暮らし、両方の意味合いが込められているそうです。

 

仕事と暮らし、両方があることが本来の人のあり方のはず。

 

しかし、現代では働いている、あるいはお金を使っている、そのどちらか

 

でなければ、まるで”居場所”がない感がある。

 

貧しさや障害を抱える、社会的弱者に限った話ではなく。

 

そしてそれは、日本固有の問題でもあると西村さんは言う。

 

「つまり、”広場”っぽい空間が、今の日本にはないんです。」

 

はい、お姉さん。聞きました?今ちゃんと聞きました?

もう一回聞いてみましょう。

 

広場っぽい空間が、今の日本にはないんです。

”広場”っぽい空間が、今の日本にはないんです。

”広場”っぽい空間が、今の日本にはないんです。

 

 

 

ですって。(灰色の文字はエコーです。)

いやー、話はずれますが、ソトコトどうしよ、買おっかなー、

社会貢献プロジェクト特集かぁ…。

とか思いながらこの本を本屋さんでパラ見してたら

この文章が飛び込んできて、なんか即買い決定しちゃいました。

この文章を読む為だけに買いました。(もう読み終わってたけど。)

 

 

さあ続きを。

20数年前、西村さんがサンフランシスコで見たのは、家の前と

 

道路の間の歩道が、個人の土地でありながら、公共の場として提供された

 

ものであり、管理は個人に任せられているという空間。(中略)

 

欧米には「公(public)」「私(private)」の間に

 

「共(common)」という領域があり、そこで必要とされるのは”管理”

 

ではなく“自治”なのだ。

 

「私たちのほとんどは消費者として、毎日、買うトレーニングは

 

積んでいます。数ある選択肢の中から最適なものを見つけ出し、

 

選ぶ能力をドリルのように反復練習している。(中略)

 

その一方で、「共」領域の扱い方や、身の振る舞い方のトレーニングが

 

すっぽりと抜け落ちてしまっている、と西村さんは指摘していた。

 

昔の日本なら、路地や空き地、入会地などの「共」の領域があり、

 

人はそこでコミュニケーションの方法などを自然に学ぶことができた。

 

しかし、近代化の中で、「共」は「公」に吸収され、

 

「共」領域は無くなるか、管理される場になってしまったのだ。

 

「欧米では、公園や広場と言ったコモンスペースがあり、

 

子どもの頃から、そこを自分たちがどう使うのか、

 

他人とコミュニケーションをとりながら決めていくトレーニングを

 

積んでいます。

 

しかし、日本の公園はたいてい管理側の都合で運用されていて、

 

人々もそれを当たり前に受け止めている。

 

こどもたちが自分で遊び道具をつくる、プレイパークのような試みも

 

ありますがまだまだ例外的。」

 

わー、いっぱい書き写してしまったよ。

なんかでも「共」のトレーニングを受けていない、

ってなんか納得しすぎた。

 

私にとって「共」のイメージって、

知らない人とでも、ある程度の親しみを持って打ち解けて、

その場を気持ちよく過ごす技術、みたいなものが

入っている気がするのです。

昔あった電車の車両で、向かい合わせの4人席っていうのが

ありましたけど、座り合った人同士が、目的地に着くまでの

短い間だけどそこを楽しくしましょうか、的な方法、というか。

相席したけど、なんだかんだ言って楽しく話をする関係になれて、

ほがらかにさよならをする、とか。

 

でもね、この技術、私も含め、最近だいぶ習得している人が

少ない気がするんですよ。

 

もちろん、軽い知り合い程度の人と下手に話をしちゃうと、

一回きりの関係じゃなくてしょっちゅう会うような人だと

今後もその人と行き会った時は話をしなくちゃいけないから

ちょっと面倒くさいとかホンネな部分もありますけど、

でもそれにしても、そのテクニックを身に付ける場所がない。

 

 

最近どこかで読んだエピソードで、(どこだったかなー。)

震災の日に、都心から自宅まで、何時間とかかって歩いて帰った人たちの

話が書いてあったんですけど、

みんなずうっと黙って歩いて、一人抜け、二人抜けして

ほんと最後の最後、もう自宅到着間近っていう頃になってから、

ようやく「あのう…」って声をかけて話をしたっていうエピソードがあったんです。

で、少し話をした後、別れ際にはせっかくなので、と名刺交換をしたっていうね。

 

そうか…orzって思うけど、

でもこれもつまりそういうトレーニングをしたことがない、っていう

その一言につきる気がします。

ああ、広場で独りの人に声をかけられるラテン人に憧れる。

 

とかまあそういう訳で、

この内容は、今年の夏に書籍化されるようですので、乞うご期待!