ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

街のルールを変える術(すべ)

しばらく前から、公共®不動産で、

ルールから街を変える 「Rules & Commons」

というサイトがオープンしていました。パチパチパチパチパチ!!!!

 

街の中で何かをしようとすると、

気になるのは、「これはしてもいいんだろうか?」という疑問です。

 

道端でコーヒーを入れて売ってもいいんだろうか?

街の中でギターの弾き語りをしてもいいんだろうか?

街の中で大道芸をしていたらどうなるんだろうか?

 

そういうことをしたくなったら、ネットの中を歩き回って、

いけるかどうかを判断して物事を起こすわけですが、

ルールで許されているかどうか以前に、

そもそも多くの人は、

そういうことをする場所として街を捉えていない気がします。

 

 

 

私は1980年代に小学生時代を生きていたわけですが、

その頃の房総の外房線内房線は今は懐かしい113系という

青色の車両の電車が走っていました。

 

今となってはちょっと信じられないですが、

その車両の中にある4人席(向かい合って座る席)で

お母さんが赤ちゃんに授乳しているのもちょくちょく

見かけました。しかも今よくあるようなケープとかを

使うのではなく、隠さずそのままもろだし、です。

同性の子供でも、相席しちゃった時は、

どこ見たらいいんだろ…?とか思っていた覚えがあります。

潔い…。

 

その頃の駅の入り口の階段には

戦争で兵隊で出て負傷したから働けないので、

お金を恵んでください、という人もちょいちょい座り込んでいました。

 

そういう人たちは、80年代後半にもなると

だいぶ見なくなるのですが

見かけなくなった原因は、(兵隊さんは年齢的なものもあるでしょうが)

「こういうことをするのは、まあ恥ずかしいよね…」みたいな

暗黙の了解的なもののような気がします。

 

多分、そのちょっと前くらいのお母さんたちは、人前で授乳するのは

別に恥ずかしいことでもなんでもなかったのが、恥じらいの変化みたいなものが

あって、人前での授乳が恥ずかしことに格上げ?されたのでは?と思います。

 

 

あとは、例えば

小学生低学年のうちはクラスの全員がハイ!!って

手をあげるのに、

年齢が上がっていくにつれ

手を上げなくなる、というのにも似ているような。

なんか率先して手をあげるの、恥ずかしくない?みたいな。

大人になってもありますけども。こういう感覚。

 

 

街でコーヒーを入れるなんて普通やってないし、

街で大道芸するなんて普通やってないし、

街でギター弾くなんて恥ずかしい!!!

っていうメンタルは大いにあると思うのです。

 

 

だからこそ、みんながやってる、っていう状況を作り出すことが

街が楽しくなる第一歩なのかな、と思う次第。

 

ってなんの話かわからなくなりましたが、

普通街で大道芸なんてしないよ!っていう

メンタルを作り出してるのはルールでダメって言われるから、

ってことだとしたら、

もっと街を使いこなしていいよ!っていう肯定的なメッセージが

発信されたらまた状況も変わっていきますよね。