ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

個人的な広場との出会いの話をしよう2

さてこのイタリア旅行、面白いくらいに下調べをせずに行った旅行だったので、

というよりも、下調べはかなりしたつもりだったんだけれども、

特に、イタリアの大都市の大まかな位置関係を把握したり、

どうやって鉄道で移動するのが効率がいいのかっていうのを調べたりってことは

かなりしてたんですが、もっぱらイタリアに行けるということ自体が嬉しくて、

なにかイベントをしていてほしい、

なんていうことを考える状況でもなかったのがほんとのところ。

 

 

まず最初に広場の洗礼を浴びたのは、シエナでした。かの有名なカンポ広場。

実は、この前にも南イタリアを一週間くらいかけてまわっていたこともあって、

けして広場というものに初対面した訳ではなかったんだけれども、

(ローマのあのオードリーヘップバーンが有名にした広場とかも行ってたのです。)

ただこのシエナという街のサイズと、カンポ広場が街の中心だ、

っていうバランスが良くて、あくまでも地元の人が

広場で楽しんでいる感覚が素敵だなぁと感じられたのです。

 

ユーレイルパスを持って、イタリア内を鉄道で移動していた私は、

その日は昼過ぎ3時くらいにシエナの駅に到着しました。

他の多くのイタリアの都市がそうであるように、

中心市街地と鉄道の駅が離れているので、

駅から泊まる今日泊まるユースホステルに移動します。

うーん、あまりにも昔すぎてどうやって移動したのか忘れた。

多分バス…だったはずです。駅前が閑散としてたのが印象的だったような。

なにはともあれ、ユースに移動して、取り合えず荷物を置いたら、

シエナの街中を見に行くことにしました。

 

ちょっと話はずれますが、旅行行ったとき、荷物を置いたらやっぱりまずは

街中を攻めますよね。まあ、取りあえず街でも歩いてみよう、みたいな。

実際に歩いてどういう街なのか肌で感じたいというか。

 

コミュニティデザイナーの山崎亮さんの話の中で、

(日本で)中心市街地が廃れていく現状がある中で、

商業の中心がもう中心市街地に戻ってこないとしたら、中心市街地の役割は

なんなんだろう?という問いかけがあったんです。

その役割は、人と人が出会う場所としての役割でしょうとおっしゃってたんだけど、

旅行なんかをした時にも中心市街地の役割って如実に現れますね。

だって、いきなり住宅地のど真ん中を観光する気にはなれないもの。

やっぱり、なにか誰か人が集ってきている場所があって、その状態を見に行きたい。

 

シエナの街にたどり着いたのは、午後4時くらい。

街の中をぶらぶらと歩き回って何気なく、煉瓦の壁のアーチの入り口を

通り抜けた時に広がっていたのが、茶色の少しすり鉢状になった場所。

ここが世界でも美しい広場と称されるカンポ広場でした。

 

少し薄暗くなって来た中でも、広場にはたくさんの人がいて、

子ども達が風船をもってはしゃぎ回っていて、お母さん達どうしはそのそばで

立ち話をしている。おじいさんおばあさんが腕を組んで歩いていて、

なんとなくにぎやかな音楽が流れてきていました。

 

「なんか楽しい…!」という純粋な喜びが湧き上ってきました。

 

その嬉しい気分のまま、その賑やかな様子を

眺めているうちにどんどんどんどんまわりは暗くなって来ます。

 

真っ暗になっちゃう前に、街の中をちょっと見ちゃおう、と決めて、

ドゥオモの脇を抜ける道に足を踏み入れたとき、

声をかけてきた人たちがいたのでした。

 

それは男の人3人に女の子1人のグループでした。

多分20代半ばの男の人に、10代とおぼしき女のコ。

 

今となっては、一人で歩いていた日本人の女のコ(当時)になぜ声をかけたのか、

知るべくもありませんが、

多分、それは、この日がカーニバルだったからなのかもしれません。

1人でぽっつりいるにはもったいなすぎる、みんなで楽しもうよ、

だってカーニバルだぜ?そういう気分で、声をかけたのかもしれません。

そういう日常の中の非日常を愛する姿勢がこのイタリアの街には溢れていました。

 

イタリアでの旅も一週間を過ぎていたので、

旅の途中での偶然の出会いが旅をもっと楽しくする、ということが

分かってきていた私は迷わずこの誘いにのりました。

彼らは取りあえず、ご飯食べよ!というので

近くのレストランに。

 

良かったのは、少しでもイタリア語が出来たということ。

これは南イタリアを廻っていたこの前の一週間でも感じていたことなのですが、

この当時のイタリアの人はまだあまり英語が出来る人がおらず、

イタリア語をちょっとでも理解できるとだいぶ意思疎通が計れたのでした。

彼らは、大道芸人(!)で、モデナという街からやってきている、

それがとりあえず彼らの素性でした。

 

このレストランで、またしてもイタリアの洗礼を浴びるのですが、

お隣のグループがだいぶ大人数のグループで、やたらと乾杯!といって

乾杯をしている。でもその乾杯!にのせて、

こっちもそれに乗っかって乾杯をしている。なんだかだんだんだんだん

楽しくなってきてしまいました。 

イタリア人は人生を楽しみすぎているぜ。

レストランで美味しいパスタを頂いたあと、外に出ると

もう真っ暗。けれど広場ではまだまだ人が集っているようです。

このときあたりに、今日がシエナのカーニバルだったということを知ったのですが、

基本的にはカーニバルは日中に行われる仮装がメインのようです。

が、後夜祭的なものでちゃんと夜まで楽しむのがイタリアの良いところ。

 

 

ちょっと仕事してくる、といって彼らが広場の舞台ではじめたのが

大道芸でした。大道芸の芸の名前をなんというのかさっぱり分からなくて、

説明がまどろっこしくなるのがいまいちですが、

一輪車に乗って球投げをする技、とか、

バトンの先に火をつけて宙に放り投げて捕まえる技、とか

口の中に何やら入れて火をつけて、炎をはく技、とか、

おお、なんだこの意外に本格的な大道芸は!というような技を

15分間ばかり繰り広げていました。

 

そしてその大道芸が終わると一応彼らの仕事は終わったらしく、

(今考えると、一体どういう流れで彼らはここで仕事をしていたんでしょう?

多分、だれかからお金をもらってここに出ている、というよりも、

いわゆるギターケースの中にお金を入れてもらうような仕事の仕方を

していたんではないでしょうか…。)

戻ってきました。

 

他の人の出し物がいくつか終わると、フィナーレに近付いたのか、

音楽が鳴り始め、ダンスがはじまることに。

ダンスなんてものが学校の必修で入る前の時代の人なので、

少し照れもあったのですが、

実はなんだかんだいって音楽が鳴ると体が動いちゃうくらいのダンス好きの私

このカンポ広場での夜のダンスは、

多分、人生が終わる時の走馬灯の中で必ず見るであろう、素敵なひと時でした。

なんて楽しいんだろう!!!!!人生って!!!

 

 

そうこうしているうちについに広場でのカーニバルも終わりに近付きます。

時間はもう夜の12時。

広場ももう眠りにつく時間です。

 実は、ユースホステルの門限は夜中の12時。

彼ら4人とともに、「やばい、ユースに入れない!」と慌てて

ユースまで戻ったのですが、なんとユースから完全閉め出しをくらってしまいました。

 

結局その日は、シエナ駅に停車している始発の電車の中で

彼らと一緒に眠ることに。(始発の電車がそんな夜中の一時に駅にあって、

しかも誰でも乗れるというところにまたイタリアの面白さが

あるわけなんですが…。これもカーニバルの日特別の計らいだったんでしょうか…。)

 

次の日の朝、彼らと連絡先を交換して、

朝日もまぶしい早朝6時に宿に戻ったのでした。