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広場について綴るブログです。

理想的な商店街

街並みについて久々に綴る。久々のせいか長いです。



しばらく前に語ったかどうか定かでないけど、
日本の街中で大概の場合、美しさにこだわって作られているのは商業施設。
六本木ヒルズしかり赤坂サカスしかり、
ミッドタウンしかり、パルコでも伊勢丹でも
恵比寿ガーデンプレイスでも新丸ビルでも。



商業建築誌に載ってるインテリアが一番(とりあえず私には)
お金と時間を掛けて作られてるようにみえる。
でも、実は商業施設がお金と時間を掛けられやすいものだってこと自体は
江戸の昔から、いえいえ日本に限らずどの世界でも変わらない事実でありましょう。


人のすることには必然性があって、商人の立場からしたら、
いかに多くの人を引き寄せるかが、自分の手持ちの金銭を増やすことに直結したからこそ、
自分の店を華やかに飾って、自分の店だけじゃなく周辺のお店と連帯して
その界隈が活性化するようにしてきた。
だからこそ古今東西マーケットってにぎわいがあって、
猥雑さの中に躍動感があって、楽しい場所。
アジアだってヨーロッパだって、アメリカだって、
イスラムだってそこんところは変わらないんじゃないかしら。
年末の上野の市(名前忘れた)を毎年飽きずにNHKが放送するのもそこら辺に理由がありそう。



その基本は変わらないんだけど、ただ日本の昔と今の違うところは、
商業施設がビルの中に入って、街中にその多様な表情を
出さなくなってしまったことなのではないでしょうか。
昔は、建物といえばせいぜい2階建てで、
商業施設といえばそれらが連なった商店街のことで、
それぞれの商店の顔はきちんと街中に見えていて、
だからこそそれぞれの店の主人は店先をきれいにして、
人を引き寄せて、それが街並みのきれいさにも繋がってた。
店の前の道路を掃き清めるのは店の仕事でもあったはず。
(なんとなく江戸時代をイメージしてますが。)
もちろん、商店街の全てが素晴らしい外観レベルだった訳では
ないんだろうけれども、少なくとも、表情を出しやすかったことは事実。



でも、明治の頃だか大正の頃だか、昭和の初期だかに
高層のビルを建てる技術が輸入されると共に、
ビルが建ち始まり戦後は雨後になり、
都心じゃなくてもビルを建てるのが当たり前になり、
そうしたビルの中に百貨店や、スーパーや、大きなお店が入り始める。
オーナーにとってはビルの階数があるほど同じ土地面積で
広い店舗面積ができるんだから、経済効率良いことこの上ないし、
消費者にとっても、一カ所で全てが買える便利さは何者にも代え難い。
更にいえばここ最近の夏の暑さはデパートやショッピングモールでしのぐのが
日本に限らず、シンガポールでもフィリピンでも当然のことらしいです。



問題点は、ビルの中はきれいに整えても、
ビルの外観を綺麗にしようってお金を掛けるオーナーは
そうそういないってこと。ましてや、ビルの外観を
隣と同じテイストで揃えようとするオーナーなんて皆無。多分。



もう一つの問題点は、ビルの中に買い物をする場所が
入ってしまったことで、街中は通過点にしかならなくなってしまったこと。
自由ヶ丘や代官山や吉祥寺や下北沢みたいな一部の街を除いたら、
たとえば駅前に大きめの商業施設がぼん、と一つ建っているだけの
郊外の消費の中心都市は、駅に着いたら、その商業施設に直行して、
あとはずーっとそのなかで時間を過ごしちゃう。
下手したらビルからビルに連絡通路が飛んでて、外に出ることなんて皆無。
二子玉川とか町田とか調布とか柏とか。



街中はどこかからどこかへ移動するための通過地点でしかなくなって、
街中自体を楽しもうっていう機運は上がらない。
皮肉にも、(街並みの綺麗さがあるかどうかは別として、
はたまた、消費行動する場所しかないことがいいかどうかは別として)、
少なくとも自由ヶ丘や代官山や吉祥寺や下北沢の方が
街として人気があるのも、
街に一つのデパートで用をたすよりも、街中をふらふら歩き回って楽しめる方が
街が楽しいっていう証拠に他なるまい。
ま、吉祥寺はパルコも東急もありますけど。



つまり、ここまで書いてきてはっきりしたのは、
買い物をする場所が、建物の内側に入ってしまったことでの、
街中への影響はハード面とソフト面の両方があるってことです。
街中に向けて綺麗に商品を並べて営業している店がなくなって、
かわりに設備配管のとりつく壁だけが全面にでてきたっていう、
街並みが汚くなったっていうハード面のマイナスと、
買い物をするっていう行為が街中から消えたことで、
街がただの通過地点になってしまったっていうソフト面のマイナス。



ところが、この二つを取り戻すべく、
買い物っていう行為がもっと街中に戻ってくるように願って、
立ち並ぶビルの一階全てに通りに面してお店をいれたからって、
そうそう活気があって雰囲気のある
買い物空間はできないのが消費活動の難しいところでして。



なんでかっていうと
そのお店が繁盛するために、建物っていうハード面よりも
もっと重要なのは、立地やそのハードに入るコンテンツのお店自体。
(コンテンツが重要っていうのは
WEB業界ともケータイ業界とも同じなんですね。いや当たり前ですよね)


街中を活性化させるために、もしくは街中を綺麗にするために
通りに面している美しい商店街を作りましょうっていうプロジェクトが
仮にあったとして、そのプロジェクトで作られた店自体が
(在野の他の店と比較しても充分やっていけるほどに)
消費者にコンビニエント且つアトラクティブでないかぎり、
その店は営業してけない、っていう当たり前の事実。



この事実を反証するかのような存在があります。
それはニュータウンっていわれる計画されて作られた住宅街の
真ん中あたりに作られた数軒の商店街。
この商店街がニュータウンが出来て、10年ちょっともすると
大抵寂れてくるっていう事実。
これがまさに便利さと魅力が店自体に少ないからに他ならないと思われます。


パタン・ランゲージの人だったか、なんだったか提唱者は忘れましたが、
都市計画で出てくる、半径何キロ圏内には日常品を売る商店を作ると、
近隣の住人がこぞって買いに来るだろうっていう
理論先行で作られた商店街ですね。
大学時代に聞いたときはひどく納得したんでしたが、
人間はそんなに単純なものではなかったのでした。
というか人間はもっと自分の便利さに敏感です。

この商店街は街中に華を添えるために作られたわけではないけれど、
結果として同じ風貌を醸し出すのではと思うので、
例に取ってみると、この理論では半径何キロに
日常のものを売る商店があった方がいいっていうことになっているけれど、
その商店街はなぜか大抵そういったニュータウンの中心付近にあって、
電車を移動の中心としてるその近隣の住民達には、
帰ってくるときにちょっと寄るっていうことができない。立地が悪い。
品揃えも駅前のスーパーより乏しいから、
日中自宅にいる人たちも同じ距離かけていくなら駅前のスーパーを選んでしまう。
そういったことの積み重ねで、
ニュータウンの中心商店街は大抵の場合寂れちゃった。



この商店街は大抵のニュータウンっていう場所に見られます。
多摩ニュータウンにも、私関西に詳しくないので分かりませんが、
多分千里ニュータウンにも、新しい例でいうと、幕張のベイタウンの中の
お店達だってそうそう繁盛してるように見えない。



これがもっとニュータウンの駅に向かう
入り口側にあれば立地の面ではクリア
出来たかも知れないけれども。
でもそうしたら都市計画者よりもっとクールに
ビジネスマインデットなそのお店のオーナーが、
ここまででるならもっと駅前に立地しよう、
っていうに決まってる。だってそのほうがもっと
広範囲からお客さんが来るもの。
つまり結局ここに入ることになるのは、駅前には店を構えることのできない
資金に余裕のない個人商店が入ることになり、
結果的に安さが命の日用品を売る店としては
割高なものしか置いておらず、やっぱり、寂れる…。
っていう繰り返しになりそうですね。



そう考えると、ここに入って上手く営業出来るのは
多少価格が高くても構わないもので、
日中その住宅街に住んでいる人が使いたいと思う、
たとえば子どもを遊ばせるスペースとか、
子どもと一緒に入れるミニシアターとか、
風景が良いならカフェとか、になるんですかね。
カルチャースクールとか?



おっと脱線。



翻って立地が良いのに(=コンビニエントなのに)
、駅前の商店街が寂れちゃった原因は、
個人商店であるがゆえのコストの高さと、
個人商店であるがゆえの品揃えの薄さと、
人を呼び込もうとしている感の薄い外観、
地方の都市だと移動が車になってしまったことによる
駐車スペースの欠如から来る足遠のき感、
そんなところでしょうか。

最初の3つがアトラクティブじゃない証拠で、
最後の1つがコンビニエントじゃなくなっちゃった証拠ですね。



一部のやる気と知恵と創意工夫のある個人事業主が、
商店街の中にぽつぽつとアトラクティブな
新しいお店を出してることは否定しないけど、
自由ヶ丘とか谷中とかもちろん原宿も下北も)
そうできない事業主の方が多いことが事実。
そうして、そうではないお店の新陳代謝がなされて、
全体的に活性化すれば良いんだけれども、
そうではないお店が多すぎて
全体的に地盤沈下しちゃってるのが日本の現状。
もちろん消費者が分かりやすい全国展開の
チェーン店を選んじゃうっていう理由もある。
例え都心の商店街で人通りが立派にあっても。だって分かりやすいんだもの。




つまり街中に、消費者にきちんと魅力的で、
更に街並みにも貢献する美しい商店街を作るためには、

・ 立地がよい(アクセスがよい)
・ コストパフォーマンスの良い、魅力的な品揃えの、
  ついつい入りたくなるような店先の、お店。
・ 建物自体が美しいこと。経年変化で良くなる外観であること。低層であること。
・ 街に繋がっていること。(ショッピングモールみたいなそこ1つで完結してしまっては意味がない)
・ 商店街全体のインテリアに統一感があればなおよし。
  サインとか案内板とか、もろもろのグラフィックはもちろん統一感が必要!



しかし、だれがこの理想の商店街プロジェクトの
音頭を取るのやら。誰がまとめるのが一番まとまりやすいのやら。
土地を持っている人が強いって考えると
今現在その場で商いをしている個人商店の皆様方だけど、
誰がやるにしたって地権者とのやりとりの煩雑さだとか、
土地取得費用が天文学的?数字になってしまうとか、
悩ましいことは多いね。六本木ヒルズだって16年?かかってるくらいだから。



かといって、大手ディベロッパー主導じゃ(地元商店街でもそうかな?)
経済効率を考えて六本木ヒルズみたいなのがぼーんと出来るだけだろうし。


そう考えると行政なんでしょうね。
道州制がもっと進んだら、地元を活性化させる必要が出てきて、
そうすると経済効率一辺倒のビルが人を呼ぶのではなくって、
歩いてて楽しいエリアを作る、
そしてそれを広げることが地元に人を呼ぶコツだって
確信する首長だって出てくるに違いない。
その時がこの理想の商店街プロジェクトが動き出すとき。
(土地取得に関する金額とか、地権者とのやりとりの難しさは消えないけど)



テナントに関して言えば、グローバリゼーションの弊害だの、
地元の復興だの、そういうことを考えなければ、
パルコみたいな郊外の中核都市に店を出してる大手商業施設が、
この理想の商店街のテナントに入ったら
それはそれは魅力的な街になるのでは?
とりあえず店は粒選りになるだろうし。
というわけで、お話は続く。






2029年 日本


駅を出ると、駅前に、木立がたちならぶ中心を5m程の川幅の川が流れる
円形の芝生エリアがある。
木陰のベンチを待ち合わせ場所にしてる人がたくさんいる。


駅につながる石畳の道は3本あるが、車は入って来れず、
トラムが駅前から左右2方向に走っている。
トラムの通る道はせいぜい5,6Mの車幅で、
歩道は3mくらいゆったり取られている。



街中の建物はオランダのボルネオ・スポールンブルクみたいに
高さやサイズが整っていて(素材感は木メインで)、
一階はどの建物も3mはあろうかっていう
大きなガラスのFIX窓になっている。
この一階部分にお店が入っているが、
昔こういう商業施設がデパートっていう高いビルの中に入っていた時、
同じ種類のお店が同じ階にあったっていう名残を残してか、
今でも同じ通りに同じ種類のお店が入っている。


まず、円形の芝生エリアの道をはさんだぐるりには、
高級ブランドショップが路面店を出している。
駅から見て右手になる通りにはレディスのファッションエリアと、
メンズのファッションエリアが道をはさんで建っている。


駅から正面のトラムの走っていない通りには、昔デパートの7階8階のように、
レストランコートになっている。
それぞれのお店のテーブルが道の真ん中まで出てきていて、
良い匂いがして、木がふんだんに植わってて、
それゆえ木陰があって、ソファもある。


レストランコート通りを駅前から150m位行くと
途中川がまた道を横切っていて、橋が架かっている。
そこからさきは、デパ地下的食材屋さん。
スーパーもあるし、総菜屋さんもあるし、
今日の夕飯はここで調達。


一番左端の通りの向かって右手の一番手前はカフェがあり、
その横には大きな本屋さん。向かい側はギャラリーになっていて、
いつも新鮮な展覧会をやっている。
インテリアショップがありスポーツ用品の店があり、
(って書いててちょっとあまりに消費文化に毒されてる気がしてきたな…。)



だけれども実はこの理想の商店街が
単なるショッピングモールと違うところは、
一階はお店が入っているけれども、
二階以上は行政施設や公共施設が入っていて、
さらに一階の街に面したところにも公共の空間が取られているっていうこと。
たとえば、市役所、郵便局は店の上階のスペースに作られている。


プールは道に面した一階にあって、ガラス扉をフルオープンにすれば、
その前の通り全面で水遊びができる。
公民館的役割のスペースとか、ミーティングルームは、
同じく道に面していてしゃれたインテリアで作られてる。
孤独になりがちな子育て中の母親が集えるスペースもあるし、
駅から200mほどいってこの駅前商店街が終わるところには、
子どもがいやって程遊べる広大な公園がある。







…うーん、いいけど、最初のあたりなんか、ヨーロッパの焼き直しだな。
もっと日本オリジナルにしないとダメなんじゃないかな。
ってのはありますが、一応1つの理想。
インテリアや街の入り組み方をもっと
日本的ヴァナキュラーにしたらいいのかな。



話は飛びまくりますが、
2029年理想の商店街の文章の中で書いた
ボルネオ・スポールンブルグの何が良いかって言ったら、
統一感はあるけども、全く同じ訳じゃないところ。
素材感が一緒で、建物のサイズを一緒にするだけで、
あそこまで魅力的になるとは。パッチワーク的魅力というのでしょうか。
むしろ同一人物が設計しないことで
奥行き感やら本物感が出てる気がします。
一気に建てようとしないで順に時間をかけて作ってるからかな。


商業施設に漂いがちな、薄っぺらい作り物感とは違う感じ。
たとえばヴィーナスフォートみたいなのとは。
そうして薄っぺらさが溢れるはずの
ディズニーランドがそうならないのは、
あそこは鬼のように大量に出ているはずのゴミや残飯や
そういうものを決して外に見せずに、もしくは配管や給排水やもろもろの設備も
けして出さずに、あくまでも夢の国を貫き通すからでしょうな。
それはそれですごいね。



良く呼んでみると2029年の商店街だって、
もしかしたらディズニーランドの入り口付近のエリアを
彷彿とさせるもの。
くぅ。長かったのに、ディズニーランドに負けそうだ。