ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

資本主義が終わる時代に現れる生き方とそれに必要な場所2

そんな訳で、資本主義が終わる時代に現れる生き方

ってやつが、きっとこれからの時代の主流になっていくんだと

勝手に予測しているこの頃です。

 

 

それでね、単純に言ってしまうと、

個人で自分の生活を作っていこうとしている人たちが出てきていて、

今はそれが個人個人のフィールドで行われていることだけど、

それが主流になっていくためには、

そういう活動がもっと集って象徴的に活動できる場所が

これからもっとぐっと求められていくことになるんだと思います。

各地域一つ、くらいの勢いで。

 

なんでかっていいますと、一つ前のエントリーで話をしたような

新しい生き方をしている人たちのお店や居場所は、今のところぽつんぽつん、と

ある状態で、なかなかそう簡単にアクセスできない。

ソトコトや、greenzのサイトで知ることは可能だけれども、

実際に足を運ぶことが出来るかっていうと、多少ハードルがある。

そういったハードルを下げる為の象徴的な場がいるんじゃないかな、って。

 

なにかたくさん人がわいわい集ってて、なんか楽しそうにしていて、

たまたま通りかかったら楽しそうにしてたからちょっと覗いてみて、

お、なんかお店いっぱいあるじゃん、ってなって、

寄ってみよ、ってなっちゃうようなそういうことを引き起こしてくれるような場。

その場所を目的として見に来る人もいるかも知れないけど、

同時に人をひき込んでしまうような場所。

そういう場所が常に開かれてオープンな場としてあることは、

きっとそれが広まっていく為に重要なんじゃないのかな。

 

ちなみに

実際に足を運ぶことが出来るかっていうと、多少ハードルがある

っていうときのハードルがどんなものかって言うと、

例えば、個人のお店に入ると、そこで必ず買い物をしなきゃならない、

っていう感覚。

お店はリピートが大事なんだけど、その圧迫感があると、

まあ、気になるけどいいか…と思って、結果的に、

その店に入る気持ちを押し下げてしまう。

(そんな気分になるなら入らなくて良いや…っていうね。)

 

例えば、なぜ楽天があんなにメジャーなのか?

なぜamazonがあんなに利用されているのか?

なぜ企業の個別のサイトで買い物をする人が少なくて、

ヤフオクには人が集るのか?

なぜ、ロードサイド沿いのコンビニや、チェーン店には人が入るのに、

同じロードサイド沿いでも個人店には人が入らないのか?

(例えば郊外生活の必需品である車を停める駐車場があったとしても)

 

それは単純にその最初のきっかけのハードルが低いってことなんだと思うのです。

 

どんなものがどういう価格帯で、どういう風に売っているかが

事前にわかっている。

このことが買い物をする人たちの安心感になっていて、

結果的にコンビニや、チェーン店を選んでしまう原因になっているのでしょう。

 

例えば、個人店であったとしても、

お店について事前に知っている情報が多いかどうかでだいぶ

その店に入る確率が変わります。

郊外の生活の中での個人店と、都内で生活している時の個人店で

お店についての事前の情報がどれだけあるかについて考えてみると、

郊外生活では、例えばどこかの個人店との接するポイントって、

車で通り過ぎるその1、2秒の瞬間しかない。

1、2秒の瞬間だけだと、その店に対する情報ってほぼ無くて、

まあそもそも入ろうなんて気になかなかなれない。

 

都内にある個人店だと、

かなりの場合、徒歩でそこに接触するから、

その店が気になれば立ち止まることも出来るし、

人が入っていれば、ついでに覗いてみることも出来るし、

ウィンドウディスプレイが良ければ、確実に覗いちゃったりする。

つまり、都内の店の事前の情報は郊外にある個人店の10倍くらいある。

 

 

個人の店の方が価格が若干高いっていう問題もよりも、

まずは、来やすさ、アクセスのしやすさ、気軽に立ち寄っても良いよ、っていう雰囲気、

そしてその店の事前の情報や接するポイントを増やすことが大事。

 

そして大事なのは、買い物するっていうモードを盛り上げること。

人は買い物をするモードの時に買い物をするのであって、

住宅街の真ん中でぽっつりある店でいきなり購入意欲満開になるってことは、

その店に対する事前の情報をよっぽど得てない限りまず無い。

(山奥にひっそりあるそば屋さんなんだけど、実は情熱大陸に特集されるほどの

すごいそば屋、みたいな状況ね。)

 

そもそもショッピングが前提での街なんかは、

もう開いてるお店を全部歩き回ってやるぞ!欲が満開になりますもんね。

ここかなり大事。

 例えば、自由が丘、代官山、吉祥寺、下北沢。

こういう街は確実にみんなが買い物モードだから、

営業してるお店にどんどん入ってきてくれる。

 

でもそういった街じゃなくても、短期的なイベントでもそういう

買い物モードを盛り上げることは出来ます。

例えば、日常にしみ込んでいる例で言うと、

夏祭りの屋台とか、初詣の屋台とか、またはフリーマーケットとか。

そういう買い物しますよ、っていう前提が整っているところでは、

人によっては、必死になって買いたいものを探したりしてます。

(せっかく来たんだからなんか買いたいよ!みたいなね。)

 

 

手紙舎による、もみじ市や東京蚤の市なんかがその良い例で、

個人のお店でもたくさんあってボリュームがあるし、

イベントで買いたいモチベーションを高めているから、ちゃんと成立してる。

そういう時は、どこかの店を覗いても必ず買わなくても良いわけだし、

その気分になれば多少値段が高くてもかっちゃうだろうし。

 

つまり、そういう個人の店が主流になる為には、

集っているような場所が象徴的に分かりやすくあることが大事で、

その為に使えるのが広場、ってことを言いたかったのです、結局。

 

ヨーロッパの都市には必ず広場があって、

毎週末になると市場が開催されるけど、そんな感じ。

ちなみにベネツィアの広場には毎日屋台がだされるけど、

夕方にはしまわれてそうやって営業しているそうな。

そして一ヶ月分の使用料を市にはらうんだそうな。

 

というわけで尻切れとんぼの話は続く。