ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

日本に広場を作ることは出来るのか? っていう質問がいくつか。

再び広場。


さてそれで
【日本の街に広場は可能なのかどうか? 】


可能なのかどうかっていう質問の意味が曖昧。
日本に広場は必要なのかっていう意味なのか、
日本に広場を作ることは出来るのかっていう意味なのか。
私の意味するところは後者。
前者の問いに対する答えは前回の記事で、
日本にも広場は必要、と書きましたしね。


つまり
【日本に広場を作ることは出来るのか?】


という質問に対しては、
作ることは出来るでしょうけれども、多少時間がかかるかな、と。
ごにょごにょ。
ごにょごにょしつつも、一体世の中に
広場なんて作ることが出来るのかと思って、
今「バルセロナ旧市街の再生戦略―公共空間の創出による界隈の回復 」
って本に取りかかっております。



バルセロナ旧市街は、再生が上手くいったことで有名な都市らしいんですが、
どうやって再生戦略が進んでいったのかを、
政治的な戦略から、財政支援に関することから詳細に書いてます。
バルセロナはもとがいいからな〜って羨んでみたりしつつも、
どうやって進めていったら日本に広場が出来るのか、つらつら考えつつ。




【日本にはすでに広場というようなものがあるのかどうか?】


ってググってみたけども、思い描くような理想の広場ってなかなかない。
ちなみに今の時点での理想の広場は、
ある程度の面積があってすり鉢状。
公園だったらちょこちょこ思いつくんだけど、街中の利便の良い場所にある
そんな場所、思いつかないなあ。
もちろん、広場的な性格の場所、はあちこちにあるんだけど、(こういう本も出てた。)
なんかこう、象徴的に広場!っていうのはないなあ。
イタリアのカンポ広場みたいなね。



【広場でそんなに思ったような行動が取られるのかどうか?】


既知のように「思ったような行動」、って述べてますが、
ここでいう思ったような、っていうのは
広場に集まる人同士で熱い議論が始まったり
ギリシャアゴラみたいなね)
知らないもの同士がすぐに仲良くなって
しまうっていうような行動をイメージしてます。


結論から言うと、そんな行動、
広場作ったって自然に発生するわけないですから!
(うーん、夜中なせいか文章にまとまりがない。)
学生だった頃に、建築の課題が出て、
何となくだだっ広いスペースを作って、
ここでコミュニケーションが発生します、
みたいな説明をしてたけど、
現実問題そんなことは起こりえない訳です。



コミュニケーションを産み出すにも繊細な仕掛けが必要。
むしろ広場そのものを作るよりも、継続的な努力がないと、
そういう行動(=みんなで熱い議論する)にはつながらない気がします。
陽気で明るいイタリア人(典型的ですみません)だって、
ミラノくらいの都市になると、四六時中誰に対しても
オープン&フレンドリーってわけじゃないから、
日本人だったらなおさら丁寧な
コミュニケーション発生の仕掛けが要りそうです。



もちろん個人でその広場に来て、三々五々楽しむのは、
広場の「気持ちいい度」が高ければ
いくらでも発生するとおもいますけどね。



さてそれで
【広場というのはどういう形態が一番望ましいものなのか?】



どういう形態が広場として望ましいか、っていうのは、
その広場をどうやって使いたいか、にかかっている気がします。
広場でごろ寝して、のんびりして、って使いたいなら、
芝生の広場の方が良さそうだし、
そこでなにか祭りをしたり、集会をしたりなら
石畳なんかの方が良さそうだし。



広場の大きさも、
のんびりするなら周りにあまり高い建物を建てず、
見晴らしがよいあんまり閉鎖的じゃない広さが求められるし、
(うーん、これは確かどっかに
道幅と建物の高さの比率と人間の心理的な関係を書いた本があったなぁ…。)
祭り集会メインなら、そこまで雄大じゃなくても良さそうだし。



って今回はひとつひとつのトピックがもう少し
丁寧に考える必要のあることばかりですね。