ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

クルマが浸透していく様子を写真で追ってみる。

さて前回、クルマによって日本の広場である道が蹂躙(じゅうりん)

されていってしまった、という話を書きましたが

ここで昔の写真から、まだ日本の道が広場であった片鱗を探してみましょう。

 

 

これは、1910年の東京。明治の終わりです。(明治時代は1868年〜1912年)

広場的、というよりも広すぎて持て余し気味の道

ですが、クルマはほぼ通っていないですね。人力車の方が多いくらいです。

 

1924年銀座。1923年の関東大震災後の道の様子。路面電車が、結構走ってますね。

クルマもちらほら。うーん、戦前で既に大通りはもうクルマに

占められていたのかもしれません。

 

1930年の浅草です。うん、これくらいの道の幅くらいの方が、賑わいがあって、

広場っぽさを感じます。きっとこんな感じが江戸時代からずっと続いている

日本の広場的雰囲気だったんだろうな。道幅は7mくらいか??

 

こちらも同じく1930年代。子どもたちが道でスキーしてます。

クルマも走っているみたいだけど、スキーが許されるならまだまだ大丈夫。

 

 

そして戦後。1952年なので、戦後7年。

もう都心は広場って言ってられない交通量ですね。

 

こちらは1955年、神田。路面電車走ってますね。

 

こちらも同じく1955年、上野。これくら細い道路だと、まだクルマよりも

人の方が強い感じです。

でもど真ん中を歩くというよりも気持ち両端を歩いてますよね…。

これはちょっと戻りますが、1950年。道路で遊ぶ子どもたち。

郷愁をもってよく回顧されるのは、こういう風景なんじゃないのかしら、うん。

 

 

そして1960年代、高速道路の完成。

 

 

 

うーん、こうして見てくると、クルマが日本の道に入り始めたのはもう明治の時代で、

大正時代(1912〜1926年)くらいには、東京のど真ん中の大きな通りはクルマの

ために道がつくられている様子もうかがえます。

 

そこからじわじわとクルマはクルマが道をメインに使うもの、っていう感覚は、

100年くらいかけて浸透したんでしょうね。

クルマをもつことがトレンド化した1960年代以降、

道路で子どもがメンコをしたりするような余白さえも、

消えていってしまったようです。

いわゆる道に面した縁側でスイカかじる、みたいな風景が消えたのも、

きっとこのころに違いない…。