ちなみに広場について書いてます。

広場について綴るブログです。

細長い広場と、丸い広場で出来ることの違い。

道は広場であった、でもその広場的な機能は、

クルマの普及とともに、かき消されていってしまった。ということを丹念に

みてきたここしばらくだったんですが、

ちょっと前にでてきた

「日本の広場は細長く、ヨーロッパの広場は丸い」という話。

 

 

細長い広場(的な場所)と、丸い広場で出来ることの違い。

広場の形が細長いのか、丸いのか、でできることが異なるよな、と

考えたので、今日はちょっとその話を。

 

日本の道を広場的、と過程したとして、

その道をどういう風に人々が歩くかな、と図示してみます。

 

 

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こんな感じ。基本通り過ぎるので、多少通りの両側の店に立ち止まることがあっても、

最後は入って来た側と反対に抜けていきます。

もしくは、全く立ち止まらずに抜けていきます。基本、道ですから。

 

 

それに対し、丸いとこんな感じ。

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この丸い空間にいる時の歩き方は一定に前に進むわけじゃなく、この円の中で

ぐるぐる軌跡をえがくことになります。そのまま行きたい方向に抜けていくことも

あれば、ここで用をすませて、もと来た道を帰ることもある。

そしてここで立ち止まってかなりの時間を過ごすこともできます。

 

 つまり、

丸い空間は溜まる(たまる)ことができる。

 

日本の道が細長い広場だった、と結論づけてはみたものの、

道機能が主の細長い空間だとやりづらいこと。

 それが溜まること、です。

 

丸い広場が滞留できる場所でとしたら、

細長い広場は滞留できず、流れていく場、でありそうです。

 

 

巨匠の意見

さてここで、また一人パブリックスペース界の巨匠の意見を聞いてみましょう。

 

建物のあいだのアクティビティ (SD選書)

建物のあいだのアクティビティ (SD選書)

 

 ヤンゲールさんです。

ヤンゲールさんは、公共空間について長年、研究を進めていますが、

公共空間が人で溢れるにはいくつかの法則があることを

この本の中で記しています。

 

建物のあいだのアクティビティは、自己増殖(じこぞうしょく)プロセス

 

になる潜在的(せんざいてき)な可能性を持っている。

 

誰かが何かを始めると、ある時は直接の参加、

 

ある時は他人の行為を傍観(ぼうかん)するかたちで、

 

別の人がそれに加わる。

 

これはどこでも見られる明らかな傾向である。(中略)

 

このプロセスが一旦動き始めると、全体の活動は、

 

ほとんどの場合、それを構成しているココの活動の総計よりも

 

大きく複雑なものになる。

 

単純に言うと、人がいるから人が集ってくる、そしてその人が

さらに人を集める という循環が始まる、ということですね。

それを自己増殖(じこぞうしょく)=勝手に増えていく、という意味合い

で使っています。

 

前向きのプロセスでは、

何かが起こるから何かが起こる、

後ろ向きのプロセスでは、

何も起こらないから何も起こらない。

 

建物のあいだのアクティビティは、自己増殖(じこぞうしょく)プロセスで

 

ある。 この点を考えると、多くの新しい住宅団地に生気がなく、

 

人影がまばらな理由も説明がつく。そこでは明らかにたくさんの

 

ものごとが起こっている。しかし、人々と出来事が時間の面でも、

 

空間の面でも拡散しすぎているので、

 

個々の活動がいっしょになり、もっと大きく意味のある、

 

人の心に訴えかける出来事の連鎖を生み出す機会はほとんどない。

 

プロセスが後ろ向きになってしまう。

 

 何も起こらないから、何も起こらない。

 

屋外がひどく退屈なので、子どもたちは屋内でテレビを見るように

 

なるだろう。眺めるものがほとんどないので、老人たちはベンチに座る

 

ことを楽しみに感じなくなる。そして遊んでいる子どもがほとんどおらず、

 

ベンチに腰掛けている人がほとんどおらず、

 

歩いている人がほとんどいなければ、窓から外を眺めることも

 

そう楽しくない。そこには見るべきものがあまりない。

 

活動が互いに刺激し、もり立てあうことがないと、建物のあいだの

 

アクティビティが目に見えて少なくなる。

 

つまり、盛り上がっている場所をつくるには、いかにそこにたくさんの人がいて、

たくさんの出来事が起こっているか、もしくはたくさんの出来事が

起こっているかのように思わせることが大事、ということになりますね。

 

 

滞留時間が長いと賑わいがでる

そしてもう一つ大事な示唆。

 

 ある場所で観察される人と出来事は、

 

「出来事の数と持続時間の積(=かけ算)」

 

で表される。(中略)そして重要なのは、人や出来事の数より

 

むしろ屋外で過ごす時間の長さである。(中略)

 

これはある場所の活動水準を高めるには、公共空間を利用

 

する人の数が増えるようにしても、個々の滞留時間が長くなるように

 

しても、どちらも効果があることを示している。

 

 

 はい、聞きました?聞きましたよね?

大事なこと言ってましたよ。賑わいがでるには、

 

個々の滞留時間が長くなるようにしても効果がある

 

なんだそうです。

 

ってことはつまり、先に書いた、溜まることができる丸いかたちのほうが

賑わいが出やすいってことになりますね。

たとえ同じ数の人が歩き回るにしても、

滞留時間が長くなる傾向があるこの円のかたちのほうが、

賑わいがでやすいという結論になりました。

  

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道の細長い空間に人が留まりにくい、というのは、もう一つ理由があって、

道なので当然なのですが、

全体的に一つの方向に向かうベクトルが働いています。

ここにいるとゆっくり佇むよりも、この矢印に押し流される方が自然です。

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それにくらべ、丸い空間ではこのどちらかに向かう、という力が

働いていないので、そこで佇んで立ち話をしても、問題ないのです。

 

以前、渋谷のハチ公広場の話を書きましたが、

あそこも広場とはいえこのベクトルが強烈に働いているところで、

JRの駅から出てくる人たちの流れ、もしくは駅に向かう人たちの流れで

その場に佇むことさえなかなか難しい場所です。

 

 

細長い広場(的な場所)でできることと、丸い空間でできることとの違いは

留まれるかどうかにあったのでした。